『本能寺の変』は日本三大ミステリーのひとつです。
歴史が大きく変わってしまう事件でした🍀。

わたしは大学の専攻が、『中世軍記』でしたので、学生時代から、本能寺の変に関係する本は沢山読みました。

本能寺の変は、『明智光秀単独犯』、『朝廷陰謀説』、『秀吉黒幕説』、『徳川家康説』他多数あります。

各説は小説や評論、論文で論証されています💠。

まず、豊臣秀吉説ですが、本能寺の変後、ギリギリの判断で、中国大返しをやっているので、計画的な犯行とは言えません。

徳川家康も服部半蔵の手引きにより、大阪の堺から本国にまで、命からがらたどり着いているところを見ると、家康陰謀説も厳しそうです。

結論から申し上げると、『明智光秀ノイローゼ説』です。
信長の過酷なむちゃぶりにたえきれず、精神に異常をきたし、主人を殺害したのでしょう。

以前、光秀はおばを信長に見殺しにされた個人的な恨みつらみも、さまざま募っていたことでしょう🌱。

本能寺の変は起きるべくして起きた』とも言えそうです。

ただ、残念なことに信長の長男信忠が京都(二条城)を脱出していないことです🍀。

作家の井沢元彦氏がこの点を指摘し、
「信忠は京都から充分に逃げ切れた。もし、彼が安土城に入り、弟で信長三男の神戸信孝の軍勢らと合流していれば、天下はどうなっていたかわからない。」と述べておられます。

実際問題、信忠自身がすでに織田家の家督を継いでおり、軍事の統率権も持っていました。父の敵討ちで明智光秀を倒せば、織田家の覇権は揺らいではいなかったでしょう。

織田信長、信忠死後の織田家は、弟たち、特に次男信雄と三男信孝の内輪揉めをつかれ、豊臣秀吉に乗っ取られたことを覚えば、運命とはこういうものかと思われます。

いずれにしろ、本能寺の変は歴史を変える出来事でした。

【この記事は、2020年7月12日に加筆修正をしています。