明の創始者の洪武帝(朱元章)は農民から身を起こした『皇帝』です。
漢(前漢)を創始した劉邦も貧しい家でしたが、かれは中流の農民からでした。
朱元章はもとの名前を『朱重八』と言います。
朱重八が十代の頃、飢饉が起き、両親や兄を亡くします。身寄りがなくなり、托鉢僧となります。
朱重八が過ごした時代は、元朝の末期。元の政治に不満を持つ反乱軍は額に赤い布を巻いたことから、『紅巾の乱』とよばれます。
托鉢僧でありながら生活苦にあえぐ、朱重八は、この乱に身を投じ、めざましい活躍をします。
上司に才能を見いだされ、朱元章と名前を改めて将軍となり、『呉』を建国します。
1386年に皇帝となってからは南京(応天府)に都を起きます。善政を敷き、大商人を弾圧します。『賦役黄冊』(戸籍台帳)や『魚鱗図冊』(土地台帳)を作成します。
『里甲制』を取り入れ、さらに、中書省を廃止し、『六部』を皇帝直属とします。
また、恐怖政治を展開、手柄のあった部下を次々と殺して、一族を悉くほろぼします。
独裁者がよくやることです。中国史上では日常茶飯事。日本でも、鎌倉幕府を乗っ取った北条氏が該当します。
洪武帝のあとは孫が継ぎます。『建文帝』です。しかし、洪武帝の四男、燕王が謀反を起こし、挙兵します。
勝利を得るのは燕王。のちの永楽帝です。
漢(前漢)を創始した劉邦も貧しい家でしたが、かれは中流の農民からでした。
朱元章はもとの名前を『朱重八』と言います。
朱重八が十代の頃、飢饉が起き、両親や兄を亡くします。身寄りがなくなり、托鉢僧となります。
朱重八が過ごした時代は、元朝の末期。元の政治に不満を持つ反乱軍は額に赤い布を巻いたことから、『紅巾の乱』とよばれます。
托鉢僧でありながら生活苦にあえぐ、朱重八は、この乱に身を投じ、めざましい活躍をします。
上司に才能を見いだされ、朱元章と名前を改めて将軍となり、『呉』を建国します。
1386年に皇帝となってからは南京(応天府)に都を起きます。善政を敷き、大商人を弾圧します。『賦役黄冊』(戸籍台帳)や『魚鱗図冊』(土地台帳)を作成します。
『里甲制』を取り入れ、さらに、中書省を廃止し、『六部』を皇帝直属とします。
また、恐怖政治を展開、手柄のあった部下を次々と殺して、一族を悉くほろぼします。
独裁者がよくやることです。中国史上では日常茶飯事。日本でも、鎌倉幕府を乗っ取った北条氏が該当します。
洪武帝のあとは孫が継ぎます。『建文帝』です。しかし、洪武帝の四男、燕王が謀反を起こし、挙兵します。
勝利を得るのは燕王。のちの永楽帝です。