「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。」
極東の小国日本が、中華皇帝に対等な態度を取り、怒らせたという有名なフレーズです。
中華皇帝は、『世界の皇帝』という態度と意識で他国に臨み、朝鮮や周辺民族は、属国化していました。これを『冊封(さくほう)』と言います。

聖徳太子は馬小屋で生まれたとし、幼名を厩戸(うまやどの)王子と呼ばれました音符

みなさん!『馬小屋で生まれた』という話はどこかで聞いたことありません?そう!イエス=キリスト生誕のエピソードと全く同じなのです。ヨーロッパの文化が伝わり、中国や日本に伝わり、『聖人の誕生伝説』として真似られたのでしょう。

聖徳太子は子供のころから頭がよく勉強ができ、十人の話を同時に聞いて判断できたと言われています。
二十歳位で伯母の推古天皇を補佐する仕事(摂政)につきました。ナンバー2というより、親族の『共同統治』に近かったと言う学者もいます。また、『聖徳太子は実在しなかった』とする学者もいます。あるいは、聖徳太子という名前の『集団』だったとも。だから十人の話が一度に聞けたのだと(笑)。

聖徳太子は、小野妹子を中国に派遣して進んだ文化を学ばせています。
『十七条憲法』では役人が守るべき法律を定めたり、『冠位十二階』で適材適所で人を使ったりしました。
以外にも聖徳太子の協力者は、『大化の改新』で滅びる蘇我氏でした。