いまの岐阜県は、中世は『美濃国』と呼ばれていました。織田信長が美濃を制圧し、天下布武を掲げた頃、『岐阜』と名付けました。これは中国の周王朝の都が岐山(きざん)であったことに由来しています。信長の天下統一への意気込みが垣間見られます。
信長と斉藤道三のエピソードをひとつ。道三の娘を妻とした信長が道三に面談を持ちかけます。道三は婿の信長がどんな人物か見ようと道中で待ち受けていました。うつけと呼ばれた信長は瓜を頬張りながら、馬に跨り、上半身は裸です。まわりのもの達も同様でした。道三はあきれはて、略装(正装ではない)で面談の場にいきますが、信長は打ってかわって正装で接見しました。おどろいた道三は、こう言います。「たいした人物である。やがて、わしの息子も孫も信長の部下になるだろう」と。結局、道三の息子たちは、部下にはなりませんが、信長に美濃を制服されす。『まむしの道三』と呼ばれ、下剋上で伸し上がった斉藤道三の眼力の鋭さを表すエピソードです。
信長と斉藤道三のエピソードをひとつ。道三の娘を妻とした信長が道三に面談を持ちかけます。道三は婿の信長がどんな人物か見ようと道中で待ち受けていました。うつけと呼ばれた信長は瓜を頬張りながら、馬に跨り、上半身は裸です。まわりのもの達も同様でした。道三はあきれはて、略装(正装ではない)で面談の場にいきますが、信長は打ってかわって正装で接見しました。おどろいた道三は、こう言います。「たいした人物である。やがて、わしの息子も孫も信長の部下になるだろう」と。結局、道三の息子たちは、部下にはなりませんが、信長に美濃を制服されす。『まむしの道三』と呼ばれ、下剋上で伸し上がった斉藤道三の眼力の鋭さを表すエピソードです。