なんかこのポスターがすごく目に止まって。
ド鬱映画。
過眠症で躁鬱の女とただひっそりととなりにいる男の話。どうして一緒にいるんだろうって思うけどどこか自分と似ててどこかほっとけなくてどこか好きなんだろうなぁってなった。

叫びながら夜の道を走っていく。服を1枚1枚脱ぎ捨てて最後は暗闇の中外から漏れてくる光の中ハダカで踊るの。
趣里さんの裸綺麗だったなぁ、脆くて力強い。危険を帯びてて美しい。
人の前で全部曝け出して感じたもののまま自分のカラダから吐き出して踊るってなかなか出来なくなるよね。

昔なら泣きないときに声を荒げて身体全体で心の辛さを外に出せたのになって思った。大人になるにつれて泣き方すらわからなくなる。

映画館で見る醍醐味って壮大な音と広さを楽しめることだと思ってたけど、こういった映画を映画館で観ることの良さもわかった気がする。

映画館のスクリーンの大きさと相反して物語や心情がちょこっとだけ動くの。悪くない。

けど、現代に生きる若者のラブストーリーってのには正直「?」ってなった。
恋人達のすれ違い?不器用な恋人達の物語?
え?恋とかそんなものを題材にしてない気がした。
恋ってもっと鮮やかで多幸感ってかんじだけどもっと苦しくて辛いものがテーマだとおもう。
慣れや同情からくるものって愛なのかな。愛してもいない人を弱ってるから支えてあげるのは美しいのかもしれないけど。
けど、愛って見返りを求めないで与えるものだとしたら一緒にいることが愛なのかしら。
環境の変化は心境の変化にも繋がるしやはり動こうとすることが大切だとおもった。
あとその人のためにしていることが自分を結果追い詰め苦しめるってことも感じた。
人間って難しい。生きるって大変。生きているだけで、愛。か