発達障害、アスペルガーの友人たち。
長く続く関係の中でも一目おいていること。
視覚や聴覚の過敏性、胃腸の不調や精神科の処方を受けながらも
育児を頑張り、仕事を頑張り、家事を頑張り…
努力を惜しまないこと。
学校の先生やご主人、祖父母、友達の手助けはあっても
その相手に対しての気づかいや、思いやりがあること。
いつも、感謝してくれる。
必ず、私の場合は、私の体調やスケジュール、都合を確認して
自分たちの「お願い」が、私の負担にならないように
私の生活の妨げにならないように
心を砕いてくれる。
思うに、友人たちは弟や妹がいたり
祖父母を介護していたりと常に「人を気づかう」立場で生きてきた。
発達障害があるからといって、その立場を退くことなく
当たり前のように、
家族を「支える」人達だった。
先日、その友人の母君がお亡くなりになった。
海外にいる弟に代わり喪主を勤めた。
冷静な顔をしていたけど
ご主人からの電話でかけつけたら
彼女は私たち友人集団を見つけるなり、走ってきてしがみつき
泣きまくった。
頑張る人なのだ。
だから、少しでも、役立ちたいと思う。
友人たちから、「特性がこうだから」と、違いを言われたこともない。
私が聞くから、説明してくれたのだ。
私は「聞いて」「私をわかって」 という人は苦手で
私自身が、人に言えない。
そういう所もわかった上で、互いに互いが重荷にならないように
でも、互いに互いしかわからない辛さを補い
助け合う、
一方通行ではない、この関係。
居心地がよく、30年近い付き合いがある友人もいる。
障害は、友情の壁にはならない。
友情の壁になるのは、優しさや相手への思いやり、気づかいをなくし
自分が受け身で、手助けされることを「他人に」求めすぎた時。
私の毒親たちのように。
周りが見えず、人の苦労や心遣いが見えず
自分ばかりを思う時。
優しさを、愛情を求めるより与えることに心を砕く人は
どんなに不器用だろうと
対人面がぎこちなかろうと
表情が乏しかろうと
優しさを返され、愛される。
そんな気がする。
