もともと
入れ替わりの多い職場ではあるけれど

"私"の意識を変えてみたら
配属されてくる人の"タイプ"も
関わる人たちの"態度"も
その場の環境でさえ 以前とは違ってきた




スゴく頑張っているのに
空回りしていたひと…

持っている能力を
なかなか上手く活かせずにいたひと…

周囲に気を遣い
生産性よりも調和を優先していたひと…

そういった
本来 プラスとなる"エネルギー"を
外側のコントロールによって
打ち消されていた…

私が そう感じていたひとが
怪我や体調不良により
その場所を離れている




また 逆に

周囲との調和を図れず
自分本位の動きをしていたひと…

自らの行動に責任を持てず
他者への依存が大きかったひと…

そういった
自分のエネルギーを全体のために使えず
他者からエネルギーを奪っていた…

私が そう感じていたひとは
私の目に映らない場所へと
配置転換されていく

そういうひとに限って"退職"には至らない…笑




もちろん
その一連の流れは
"普通"のコトとして見れないことも無い

でも
これまでの1年あまり
私が彼らに対してのモヤモヤとした感情を
自分の中で膨らませていた間

「なぜ?」というほど
彼らは"相応しくない"場所に
留まり続けていた

なのに…
私が「なぜ それらを見せられているか?」
に視点を移し
彼らに対して
"私のエネルギーを向けない"
ように意識を変えてみたら

そこから
彼らとの"距離"が生まれ始めた
それも
"私"と直接関係のない状況下で…




コレは
"私に 現実を変えるチカラが在る"
ということではなく

"見ている現象は意識で変わる"
ということ




私が彼らに対して
無用な"心配"や"配慮"を持ったり
無用な"責任感"を負う姿勢でいたり

そういった
"エネルギー"を使っていたことで
私は ある意味
彼らをコントロールしようとしていた
のかもしれない

それが
彼らを相応しくない場所へと留め
私が そこへエネルギーを向け続ける…

そんな状況を
私が"見続けて"いたのかもしれない




そして
私が "そう"感じたのは
彼らの"移動"だけではなく

その場所の環境そのものにも
現れてきたからだ

彼らだけに限らず
"私自身"も
相応しくない場所で
相応しくないエネルギーを使っていた

それを
その場で使うに相応しいエネルギー…
"私のエネルギーの質と方向"を
意識的に変えるようにしたら

私に関わる場所での
私に対する環境に変化が現れた




たとえば
その場全体のフローのために
自分を後回しにしてでも
動かしていた"私のエネルギー"を

フローが乱れることを覚悟の上で
一部"カット"した

それは 私が"いい人"だから後回しにしたのでなく
私の"意地"や"責任感"…
"気が済まない"という気質から。
私にとっては 
場が乱れることは 非常に気持ち悪いコトなのだ…

すると逆に
その場に必要なエネルギーが
私以外の場所(他者や状況)から
自然に流れてきて
きちんとフローが完了するのだ




もちろん始めは
私の凝り固まった"罪悪感"が
時々 顔を出していたが

そこは

私が 他が為と思って発したエネルギーが
実は
その人やその場の流れを邪魔していた…

そう解釈することで払拭した




それは 私が
『エネルギーの扱い方』や
『"イイ人界"から離れること』を
先に感覚として受け取っていて

それを自分の中で
噛み砕くことができたために
実践できたエネルギーカットであり

その 自分の感覚を
信じることができたからこそ
見ることができている"現実"なのだと

また
ちょっとした'"伏線"を感じていたりもする




長い目で見ると
毎日に"無駄"なコトは無いのだが
自分が どこに向かっているかによって
その"過程"は多数存在している

それは
直線コースもあれば
遠回りに蛇行するモノものもあり

どこを通るかは
すべて"自分"で選べるのだ

でも…
どのコースを選ぶかは
自分がどこへ向かっているか が
明確でなければ 選びようがない

それは ちょっとばかり
"自分との闘い"も含まれたりするが

自分がどこへ向かっているのか
自分はどこへ向かいたいのか

もう 私たちは
それらをしっかり見据えるときを
迎えているのかもしれない