ポジティブ が 光 
ネガティブ が 

そんなイメージがある
凸と凹…陽と陰…プラスとマイナス

前進しようとする私たちは
負のイメージの方を消し去りたくなる

プラスが前進…マイナスが後退…
プラスでなければ 駒を進められない
そんなイメージを創り上げている

そしてネガティブを悪者にしている




でも…そのくせ
負の中に浸ってしまいたい時も
あったりはしないだろうか

それは
常にポジティブでいることが
疲れるから…?

常に光でいることは
多くのエネルギーを消費するから…?

だから 
緩めて チカラを抜いて
負の中にドップリ浸かりたい…
ということでは ないだろうか?




だけど そうすると
なんだか自分が悪い人間になっていくようで

ちょっと罪の意識を感じる

こんなネガティブでいてはダメだ!
ポジティブに考えなきゃ!

そんなコトを繰り返し
ポジとネガを 
行ったり来たりすることもあるだろう

そして 自分に落胆したり…後悔したり…




私たちは パーフェクトではない
人間は未完成なモノだ

だからこそ 
完成に向かい 前進するのだろう

そして
私たちは その "完成形" を知らない…

それこそが
私たちが "行ったり来たり" する
理由なのだろう




未完成だから
ポジとネガが存在する

ポジティブが良で
ネガティブが悪なわけではなく

ポジティブ100%が完成形
というわけでもないのだろう

きっと みな それぞれに
完成のポイントが存在し

完成形を知らない私たちは
それを 手探りで探し続けなければならない




"" は 
その光よりも暗いところにいなければ
光として認識できない

光の中に居ては 光を見つけられない

だから
私たちが 光を見つけるためには
自分が闇の中に存在する必要があるのだ

闇を知っているからこそ
光を知ることができ

ネガティブでいるからこそ
ポジティブでいられる




ポジティブでいたい
光に向かっていたい

…であれば
ネガティブでいる
闇の中に浸ってみる

それも アリ なんだ
むしろ それが必要なんだ

前進を望むなら
ネガティブは消し去ってはいけないのだ




「ネガティブでいてもいい」
そんな自分に許可を出すと

それまで ただ眩しかっただけの光が
"見えるカタチ" として
存在していることに気づくだろう

闇ばかりだと思っていた自分の中にも
きちんと光が存在している

そうしてまた
私たちは 光に向かっていくのだろう