ずっと励まし合いながら辛いことも一緒に乗り越えた幹部仲間、ピコから回ってきました👩💕


(DF幹部ひま、MF幹部ピコ、AT幹部ウド)


東海大学女子ラクロス部、AT幹部を務めていました、落合彩羽(ウド)です。

平素より、東海大学女子ラクロス部に多大なるご支援、ご声援を賜りまして、本当にありがとうございます。この場をお借りして、感謝申し上げます。


引退してから約3週間。まだ実感がわかず、まるでリーグ戦後の長期オフに入っただけのような気持ちで過ごしています笑

ここまでラクロスを続けてこられたのは、間違いなくたくさんの人たちの支えがあったからです。

でも、過去の自分は
「1人でなんとかなる」
ずっとそう思っていました。

高校時代の陸上部では、短距離女子の同期が次々に辞めていき、気づいたら1人。男子の中で必死に練習についていく毎日。コロナの影響もあり、練習場所の違う長距離の同期とは別行動で、1人で練習に行き、1人で帰るのが多かった。

1人は好きじゃない。
でも、1人で努力して、乗り越えられる。

そう信じていた私の価値観が、大学4年間で大きく変わりました。

「1人じゃ頑張れなかった」

横を見ればいつも大好きな同期がいて、どんな悩みも聞いてくれる仲間がいる。私が元気をなくしていると、すぐに気づいて声をかけてくれる。「仲間」ってこんなにも力をくれる存在なんだ、と何度も感じました。




このブログでは、そんな4年間を少し振り返ってみたいと思います。

 毎日が青春だった4年間

玄関に置いてあるクロスを手にして登校した日々、毎日片道2時間半の通学、週2日の朝練は4時起きで口を開けながら爆睡した電車の中、ナイター練前に教室で昼寝をしたりコンビニに集まったりしたこと、幹部ミーティングで遅くまで話し合った火曜日の夜…。
その一つ一つが、今となってはかけがえのない思い出です。

 1年生

ラクロスとの出会いは、高校生の時。インスタでおぐさんからフォローが来たのがきっかけでした。投稿には、楽しそうにラクロスをする先輩たちの姿があって、「私もこんなキラキラした大学生活を送りたい!」そう思いました。

そして、過去に水泳、体操、サッカー、バスケ、陸上など様々なスポーツを経験してきた私にとってまた新しいスポーツにチャレンジできることにすごく魅力を感じていました。
あと、「サークルに入る大学生ってダサい」
そう思ってました笑
私はスポーツをやるなら遊びみたいなちゃらんぽらんなものはやらない、やるからには全力でやってやる、そんな性格です。

大学入学後、コロナ禍でグラウンドでの練習ができない時期が続きましたが、ようやくラクロスができる!と感じた矢先に足首を骨折。
初めての骨折で何もできない日々、同期が成長していく姿を見て悔しい思いをしたこともありました。それでも、負けず嫌いの私は休むことなくグラウンドに通い、トレーニングに励みました。

やっと復帰!となったら今度は指を骨折。
しかもバスケの授業で…笑
なんやかんやで半年くらい同期から遅れをとっていました。一年生の時の記憶はただ「早くラクロスをやりたい、同期に負けたくない」そう思っていました。


(常にずーと一緒の体体4人組🩵あ足折れてます)


 2年生

2年生になり、トップチームで活動させていただくことになりました。怪我でサテライトにもほぼいたことのなかった私がトップチームに入り、いつも怯えていました。声を出さなければ怒られる、ミスをすれば練習から外される。そんな緊張感の中でプレーをしていました。同期に「唯一の病み期だったよね」と笑われるほどでしたが、この環境での経験が、私を一番成長させてくれたと思っています。

 3年生

3年生になり、試合で得点を決める機会が増えました。それは先輩たちが私の得意なスペースを作ってくれたから。ボールを持ったらシュートに向かう。それしかできない私でも、得点を決めるたびにたくさん褒めてもらえました。そんな環境に甘えて、私はちやほやされて育ってきたのかもしれません。

しかし、
忘れることのできないリーグ戦の全敗

「勝てない理由を人のせいにしてしまった」

人は成功したことよりも失敗に目が行きがちな生き物だと、あの時ほど実感したことはありませんでした。自分が四年生になり、後輩を指導する立場になって初めて、責任を他人に押し付けることがどれほど良くないか、痛いほどわかりました。

そして迎えた入替戦
私は、スポーツの勝敗で泣くことはほとんどない性格なのに、この日は2リットルのペットボトルに溜まるくらい泣きじゃくりました。

何度シュートを打っても決まらない。
焦りすぎて周りが見えない。

最悪のプレーでした。途中でベンチに下げられ、最後までコートに立つことすらできませんでした。試合終了の笛が鳴った瞬間、ピコと崩れ落ち2部に降格する現実を受け入れられず、これからどうすればいいのかわからなくなりました。


(りんなさんと必ずここに戻ると誓った日)


 4年生

翌シーズンに向けての目標やチームの体制は何も決まっていない。新しいコーチをどうするかも未定。

24チームのはじまりは、不安と焦りに満ちたスタートでした。電車の中では顔を隠してひっそり泣き、夜道では涙を流しながら帰る毎日。本当に本当に辛かった。

それでも、この苦しみを乗り越えなければならないと心のどこかで感じていました。それが、仲間とともにラクロスに懸けた4年間の答えを出す唯一の方法だったからです。

でもまず、人見知りで他人に興味がないし、自分がやりたいプレーしかしてこなかった私。怒ることもできず、こんな私に幹部が務まるのか。
後輩たちも「ウドさんで大丈夫なの?」と思っていたに違いありません。

でも、幹部になった以上、逃げられない。

毎日のように幹部のひま、ピコとミーティング漬けの日々が始まりました。私はせっかちなので、何もかも早く決めたいタイプ。「なんで連絡を返してくれないの?」「焦りはないの?」「パワポ資料作るの遅すぎ!」と、常にイライラしていました笑
とにかく焦っていたんだと思います。ごめんね、2人とも💦

でも、ひまが「この2人が幹部で良かった」と言ってくれた時はすごく嬉しかった。たしかにこの2人で良かったし、この2人じゃなきゃ成り立ってなかったと思う。


(幹部ミーティング隠し撮りreal)


でも、早く資料を作るけど内容が適当な私。2人がよく修正してくれました。このとき、自分1人ではダメなんだ。周りと助け合いながらやることが大切なんだと学びました。

私が早く資料を作る係、ピコがその修正係、ひまが最終確認係。こんなふうに自然と役割分担ができ、チームとして動けるようになりました

そして、コーチ依頼へ。
こんなにうまくいかないものだとは思いませんでした。

まず、うみさんからなかなかOKが出ない。

うみさんの存在は私にとってとても大きなものでした。一つ一つの言葉掛けが胸に刺さり、「最後までボールを追いかけなさい」「エースの自覚を持ちなさい」といった言葉はずっと心に残っています。伸び悩んでいるときも、厳しいながら的確なアドバイスをくださり、自分の甘さや不甲斐なさを痛感させられました。だからこそ、うみさんともう一度ラクロスがしたかった。

うみさんからOKをもらえたときは、みんなで大喜びしたのを覚えています。

そして、新しいコーチ『ともさん』との出会い。依頼したその日にOKをくださり、さらにすでに戦術を考えてくれていて、「この人すごい」と驚きました笑

ただ、ともさんの日体独特のノリについていけない部分もあり笑、期待に応えられないことも多かったと思います。それでも、引き受けていただいた以上、「この人にしがみついてやる」「この人のやりたいことを体現してやる」と決意し、幹部としてともさんに全力でついていきました。たくさん怒られたけど、褒められることも多く、ともさんと一緒にラクロスができて本当に楽しかったです。失いかけていたラクロスの楽しさを、再び思い出させてくれたことに感謝しています。


なんとか始動し、練習に励む日々が始まりましたが、ここでまた壁にぶつかります。

“四年生で自分1人しか得点を決められない”

そう思うようになってしまいました。
同期になんの期待もしてなかった。
正直2年〜4年の途中まで感じていました。トップメンバーはうどぴこみくりで変わらないし、もうずっと変わらないんじゃないかと思ってました。

“私たちの代は弱い”

経験者もいないし、ユース選手もいない、日本代表トライアウトに参加しようとする人もいない。ユース選手になれないなら日本代表のトライアウトに参加してやる!そう思って同期に声をかけたがだれもこない。

「あ、また1人だ。」

だから弱いんだ、成長しないんだ

同期を頼るどころか、むしろ失望して、仲間を信頼しようとしなかった。これは同期の誰にも相談できず、高校の友達や地元の友達にずっと愚痴ってました。病んでるのを気にして飲みに誘ってくれたり、自然豊かな場所に連れてってリフレッシュさせてくれたり、いい友達に恵まれていました。
でもただ話を聞いて「頑張るんだ」って励ましの言葉を言ってくれるだけじゃなくて、「もっと仲間を信頼しろよ」と怒られたこともあります。

“1部に上がらないと”と常に焦り続けてしまっていたからこそ、周りが見えてなかった。

それから少しずつ、周りの同期がどれだけ努力しているか、どれだけチームのために動いてくれているかに気づくことができました。例えば、課題別に毎回参加してくれる仲間たちや、運営面で支えてくれたみくり、キューブ、ワッソ、メイ。私を信じてアドバイスを求め、トップを目指すと決意を語ってくれたむぎ。連絡が遅かったはずのひまが、いつの間にか誰よりもチームのために動き、メニューを作り、さらにはクリニックにも積極的に参加していた。

仲間の頑張りを目の当たりにして、ようやく自分の間違いに気づいた。「私たちの代は弱い」と思い続ける限り、本当に弱いままになってしまう。でも、仲間を信じ、頼り、支えることで、チームとして強くなれる。私たちは決して技術や実績だけで評価されるわけじゃない。大切なのは、お互いを信じて協力し合い、一歩ずつ成長していくことなんだと思う。

だからこそ、これからは「弱い代」ではなく、
何かを変えられる代、強くなれる代
にしたい。そして、この仲間たちと一緒に最後まで全力でやり切ろうと思いました。



いよいよ最後のリーグ戦、
延期が続き、期間が空いてしまった影響なのか、練習にどこか生ぬるい空気が漂っていた。なぜ、チームの雰囲気がここまで上がらないのだろう。そんな疑問を常に抱えていました。

毎週幹部ミーティングでともさんと一緒に考えた練習メニューや戦術を伝わりやすいように工夫を凝らして指示を出した。それでも、その意図を汲み取って動いてくれる部員はほんの一握りだった。正直、辛かった。部員の顔色を常に伺ってしまう私にとって、新しいメニューを提案した後の反応は特にきつかった。「時間が長すぎる」「これって意味あるの?」そうした言葉にならない不満が、表情や態度に滲み出ているのが分かる。

「じゃあ自分で作れよ」

心の中で何度もそう思ったし、幹部3人でたくさん悩んだ。けれど、幹部の立場にならなければ分からない苦労がある。練習メニューを考え、意図を持って作る大変さを知り、それを伝える責任を背負うこと。幹部は他の選手と違って与えられたメニューをこなすだけではない。だからこそ、提案や意見があれば言ってほしい。けれど、今のチームにはそれが足りなかった。
“人に頼りすぎてしまう”
これが私たちの課題だったのかもしれない。

それでも、気づけば大きな声を出し、時には厳しい言葉をかけている自分がいた。以前の私では考えられないことだった。同期のキューブがリーグ戦前にプラカードに書いてくれた「1番成長したのはいろはだと思う」というメッセージ。それを読んだ瞬間、「いつの間にか成長していたんだ」と気づかされた。



(大切に保管してるよ♡)

リーグ戦に話を戻しますね、
1番悔しかったのは日女体戦。
試合前、トップチームに「このままじゃ負けるよ」と声をかけた。やっぱり負けた。
その瞬間、今までラクロスに費やしてきたすべての時間が無意味だったように思えてしまった。この敗北で自分の中の何かが崩れ落ちた気がした。

一部昇格のために諦めた夢。その一部昇格さえも叶わないかもしれない現実。そして、就職先への不安。

毎日のように泣いていた。

就活は部活と被らないように調整してきたし、影響が出ないように早めに終わらせてきた。けれど、それが逆に適当になってしまうこともあった。

そして中学2年生から夢見ていた教員の道。
私はその夢すらも、この部活のために諦めかけていた。体育の先生になりたくて、高校は東海の附属校を選び、倍率の高い体育学部体育学科に進むためにたくさん努力した。
でも、大学生活は幹部の仕事が山積みで、家が遠いこともあり、疲れ果てて寝てしまう日々。勉強する気力さえ失っていた。

たくさんの困難を乗り越えて、あと一つってところで諦めてしまった。

自分の過去1大きな挫折はここだったのかもしれない。

でも同期が夢を叶えていく姿を見ていると、嬉しさと同時に自分の不甲斐なさを突きつけられるようだった。

ここで私の負けず嫌いが登場
教員の夢を叶えてやる
そう決意し、実はコツコツと私立の教員採用試験に挑戦していました。私立は倍率めちゃめちゃ高いけど何校も受けて、
結果は…
見事合格✨(一昨日結果出ました笑)


はい、またリーグ戦の話戻ります。
(行ったり来たりですみません)
日女体戦の悔しさを抱えながら迎えた神大戦。
ただがむしゃらに挑んだけれど、結果はまたも敗北。一部昇格の夢はここで途絶えました。
でも、まだ『Oneteam』というチーム目標が残っていました。その目標の大切さを教えてくれたのは、うみさんとともさんでした。

「Oneteam」という目標を胸に、残された時間を全力で駆け抜けた最後のリーグ戦。最終戦は、最高に楽しい試合でした。全員が一つになり、輝いていました。結果としてその目標を達成できたと感じています。みんなと共に戦い抜き、最後に感じた「達成感」と「充実感」は今でも心に残っています。

でも正直に言うと、私はまだ1部奪還したかったという思いを完全に切り替えられていません。その思いが心のどこかでくすぶり続けています。でも、もう終わったことはどうにもならない。これからは、頼もしい後輩たちに未来を託します。


(幹部+サブ幹部)


私自身や、24sceptersがこれからのチームにどれほどの影響を残せたのかは分かりません。
でも、私たちが築いてきたものが何かしらの形で引き継がれ、後輩たちがより強いチームを作ってくれることを願っています。

 最後に、伝えたいこと

挫折は誰にでも訪れるもの。でも、挫折を乗り越える方法は結果だけではない。その過程を見つめ直したり、仲間と支え合いながら進んでいくことが何より大切だと、私は24sceptersで学びました。つらい時は周りを見て、必ず助けてくれる仲間がいるはずです。

そして、努力は必ず形になる。
きっと四年生になると部活に対する責任が増えて、私のように一度夢を諦めてしまう人がいると思う。でもね、叶うはずのない夢だと思っていたものが、今まで積み上げてきた努力のピースが集まって再び叶えられる瞬間が来た。

だから諦めずに前を向いて欲しい。
今まで夢に向かって努力してきた自分を信じて。


長くなりましたがここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

そして、今後の東海大学女子ラクロス部のさらなる飛躍に乞うご期待🌟


次はラスト、

二人三脚で常に一緒にそばにいてくれた人
この人がいたから部活も学業も頑張れたと思う。本当に感謝してるよん😘

涙溢れるブログ期待してるぞ、
我らの主将、蕪木こなつ(みくり)‼️