私が◯人犯にならなくて済んだ理由 | ・・・・・

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まったりヽ(´ー`)ノ

私は物心ついた頃から
父親に殴られたり
罵声を浴びせられる事は
何処の家庭でもある
当たり前の事だと思ってました

そう、DVですね。

父親が帰ってくる頃になると
憂鬱でなりませんでしたし
頻繁に職を変えては辞める
働かないの繰り返し
箸の持ち方が気に入らないとか
目つきがどうのこうの
訳のわからない難癖付けては
酒を飲んで暴れるし

それでも我慢してたのは
母親が耐える姿を見てたからだと思います

私達兄妹の中でも
1番暴力受けてたのは
兄だったと思います。

そんな兄も 中学を卒業すると
奨学金を受けて
寮のある専門学校に行きました。

でも家から兄が居なくなると
その矛先が次の大きな子ども
私に回ってきました。

中学になったある時
私は母親に尋ねました

私)ねぇ‥私まだ未成年だから
今のうちなら父親を◯しても
公な犯罪にならないし
このままの生活続くの辛すぎる
弟もまだ小さいから先が長いし
母ちゃんももう辛い思いしない為にも
あいつ◯しても良いよね?

こんな感じの事を言った

母親から返ってきた言葉は意外で

母)あんなくだらない奴の為に
自分の手を汚す必要は無いから
そう止めても◯すなら
母ちゃんを◯してからにすればいい。

当然、母親の命を奪う事など
出来るハズもなく
思い留まったのですが

その結果として
長年暴力に耐え続けた母親の身体は
ボロボロです

10程年前になりますが
弟は自ら命を絶ちました。

昨年亡くなったその父親を
憎んでも憎み切れません
許す事など出来ません。
きっと後生 心の何処かで憎み続けると思います どんな形であれ親を想う気持ちには変わり無いです。
(上手く言えないけれどたぶん?)

兄は生きてますが心を病んでます

私は 母に今出来る事を
精一杯やってるつもりですが

当時、
行政は何も助けてくれなかった時代でした

でも、今は行政の
手厚い支援のおかげで
歩けないし目も見えないけど
母親は生きてます。

体調の良い時は 元気に会話も出来ます。

持病や合併症もあり
この先どれぐらい生きられるか
わからないけれど
母親が生きてくれてる事が
有難いと思います。

あの時 母の制止を聞かずに
手を出してたら
きっと今の私はありません。

時々、母と昔話をしては
笑える今に感謝です。

母ちゃん、ありがとう。