こんにちは
個性輝くじぶん開発/コーチ&コンサルタントの
ジュンヌ♥塩谷純子です
15年間の教職の「最後の授業」相変わらずドジな私
(最後の最後に「バッテリー切れ」のリモート授業)
画面がプッツン!
なんとコンセントに繋いでいたつもりが
コンセントのスイッチが入っていなかった!
細心の注意を払って「万事OKと思っていたのに!」情けない![]()
1年生の最後の授業
これだけならそれほど落ち込まないのだが・・・
先週の2年生の最後の授業も大ドジをやっていた
2時間の映画鑑賞の最後のほうになって
助手さんがやってきて「声が出ていないそうです」と言う
ガ~ン!!!
字幕スーパーだったので内容はわかったと思うが
音楽や雰囲気はつかめなかったと思うと
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
チャットに「音なしの映画鑑賞ですか?」
「音が出ていないですよ笑」
メッセージにも気づいていなかった![]()
こんな調子でよくも15年間やってきたものだと思う
でも、楽しいエピソードも沢山あった
「ジュンちゃん、授業に彼氏連れてきていい?」
「いいよ」
後にその彼氏と結婚したこと報告してくれた卒業生
オープンキャンバスを手伝ってくれた学生に
手作りの生クリーム入り大福をあげたら
「おいしい!でも、豆大福を食べたい!」
と言われてしまった(´ω`)
せっかく就職した職場を4か月でやめてしまい
美大を目指すといって予備校に通いだした
発達障害だったと告白してくれた学生
何度も説得してみたが、
頑として自分の考えを変えなかった
なんか私とよく似ているかもと思った
受験に何回も失敗しながらもあきらめないで
予備校通いをしていた彼
3年経ったころ突然電話が入って
「先生!国公立の美大に受かった!」
飛び跳ねんばかりの喜びを与えてくれた
そして、最後の教え子から
「卒業しても連絡していい?!」と言ってくれた留学生
いろんなことが走馬灯のように蘇ってきた。
50代でパソコンもできない、
教職などやったことにない私が
専門学校の学科長として飛び込んだ世界
全てが初めてだらけの中だけど、
自分で決めて選んだ仕事
できないとは言えない!
でも、わからないことだらけ・・・
講師や助手に助けられながら
何とか学科長としてやってきた3年間
しかし、体が拒絶反応を示した
リュウマチのような症状が出てしまった
病院で検査をしてもらったが、
何も出なかった
これは体のサインと受け留め
学科長を辞めて講師になった
その後、
自分の心が喜ぶことをして過ごした4か月後
全ての症状が消えた
身体はいつも教えてくれていることを知った
最初のころは辛いことも沢山あったけど
思い出すのは、
楽しかったことや学生の笑顔
無謀な私の行動は、
多くの方に迷惑をかけているかもしれないが、
自分が決めたことは諦めないという気持ちだけは変わらない
それは自分を信じることに繋がるから・・・![]()
最後にお世話になった誰もいない教室に
「15年間ありがとうございました」と
お礼を言って教室を後にした


