未だに思春期みたいなことで思い悩むていたらくを言語化してみる | ジブン研究室〜ミー・ラボ

未だに思春期みたいなことで思い悩むていたらくを言語化してみる

先日(怒りは自己の世界を広げるチャンスである)みたいなことを書いた。

いま「怒り」の感情についてちょっと敏感になっている気がするので。

その中でちょっと気づいたことを書いてみる。



「怒り」まではいかないけれど、
日常的に「なんかやだな」というような
こともある。

客観的に見てわたしの周りに
特別やなことが多いわけではないと思うけれど

悪い事にセンサーが敏感なので
体感量としては少なくない気がしてる。

ささいなことで気分を損なわれる事が多いというのは
生きていて不自由だ。



そこで、「何でいやなのかな」とか
「何がいやなのかな」とかを見てみると

ほとんど100%親に行き当たる。

彼らは、
自分たちの気に入るようにやってるかどうかとか
自分たちが正しいと思ってる基準に合致してるかとか

そういうことで判断してダメだとレッテルをはる。



親に好かれたかったので無意識に同じように考え
親の言う事を一生懸命聞こうとしてきた。

その実、いつもダメとばかりいわれて
かなりむかついていたんだと思う。

そして、そのむかつきは抑圧されていた。



だから、うちの親がやりそうなこととか
よくやってたようなことをしている他人を見ると

なんかやーな気分になったり
つらい気分になったり
死にたくなったり
自分なんてだめだと思ったり
めちゃくちゃむかついたりしてたんだった。

ま、ようするにわたしは
親にむかついているわけだった。

そして。

嫌い、と思ってたんだった。



家族が嫌いってひどい人間だよなあと思うので
その嫌いな気持ちを見ない事にしてたんだなーと。

親が嫌いな人なんていっぱいいるんだろうし
諦めるとか避けるとかあるかもしれないが。

親っぽいふるまいをする人にまで
投影していらっとくるのは面倒でしかたない。

めちゃくちゃ嫌いなものに縛られてる。



なんか、こういうのって思春期のこどもみたいだと思う。

もう自分が親になるべき世代だと言うのに。
なんという。



で、これは「気づいたからやめよう」という話ではなく。

いや、辞められるならやめたいけども。

どうやってやめるのかよくわからないから。

とりあえず「ああ、そうなってるんだな」って思う事にしてみてる。



でもたぶん第一歩で「気づく」ということが先決で
「気づきを言語化すること」は、いいことな気がするので

それでこんな風に書いておいてみた次第です。

いい年してまだ何をぐだぐだしているのでしょうか。
早く中身も大人になりたい。

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