怒りは自己の世界を広げるチャンスである | ジブン研究室〜ミー・ラボ

怒りは自己の世界を広げるチャンスである

先日書いた記事で
(→わからないことは無理に結論を出さずわからないまま保持する

怒りについて触れたので、もう少しこの感情について掘り下げようと思いました。

というわけで、また定期更新できてしまった1(笑。



「怒っている」ときには、

「許せない」
「こんなことが起こってはいけない」
「ありえない」

のような思いがわきます。

実際には「あり得る」から起こっているわけですが
それは自分の快適な世界の中では「起こってはいけないこと」
なわけで。

一般的にはそれが「許容範囲」という言い方になるでしょうが

ここでは、それがその人の「世界の境界」である
という認識を与えたい。



動物などは、縄張りを侵害されたら
本能的に怒りますね。

人間の場合も、怒りがわくのは
脳の中で構築された各自の「世界」における
自分の「縄張り」を侵害されたから。

ある人が「怒る」ところは
その人が「OK」と感じる世界の外側なわけです。

怒りは、その人の世界の境界を侵された際の
アラートとみることができる。



つまり、やたら怒りっぽい人は世界が狭い。

もしくは、境界を破られたら
猫が「シャー」と牙を剥くようなことを
しないと、自己を守れないと思っている。

過度に臆病な人なのかもしれない。

他人への信頼が低い人なのかもしれない。



怒りは、持っているのが不快な感情。

だから、悪いものだとして抑圧されがちです。

怒りを向けられた人にとっても
つらいものであるので
怒りを向けられると防衛的になる。

トラブルの円満解決には
邪魔になることが多い感情でしょう。

(まあ怒って脅して言う事を聞かせるという
 場合もあるかもしれませんが)

怒りのエネルギーは強大なので
解消のための行動を爆発的に促進することもあります。

だがやはり、いつも怒りを原動力に行動するのは
精神衛生的に非常に悪いですよね。



ともあれ。

この記事の主旨としては
怒りのポジティブな側面として
今回言及している「怒り=境界」説を提唱したい。

何か自分に怒りがわいたときには
そこは自分の世界の限界を超えているという認識を持つ。

そうすれば、そこで自分の世界を外から
かいま見ることができる。

自分の世界を検証する
きっかけにできるというわけです。

自分は今までこうだと思ってきたけれど
はたしてそれはそのままでいいんだろうか?

あらためて自己を見直し
あらたに自己の世界への確信を深めるのか

あるいは、世界観を拡張して
「そういうのもありかも」な
新しい世界で生きることを選ぶのか

ある意味ではチャンスという捉え方も
あるのではと思った次第。

いかがでしょうか。

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