「徹底的にパクる(TTP)」離脱宣言
今まで、「自分はダメだ」という前提だったから

本を読んだり人の話を聞いたりした時
自分の考えは間違っていて
著者や講演者のほうが絶対正しい
という想定で臨んでいた。
こういう徹底した自己否定は
極端 すぎてしんどいから
やめることにしたんだけどね。
このやり方を
今まで続けられた理由も
ちゃんとあったということにも
思いあたったので認識に上げておく。
人は生きる上で、常に何か
新しいものをとりいれていく必要がある。
だが年をとればとるほど変化しにくくなる。
自分は今までこうやってうまくやってきたから
これでいいんだもんという経験が増えるから。
だから自己否定も
新しい考えを取り入れるという方向性で使うと
頑固になりにくいという利点があった。
著者や講演者は自分より
できる人たちなことも多いし
自分を捨てて言うことを聞いても
そこそこ結果は出るとか、仮に失敗しても
少なくとも世間的に容認されやすい
生き様や考え方はできてたりするのだ。
だか、最近はそれだけの人生に満足するには
ちょっと年を取りすぎた。
こうやればうまくいくよという
人の言うことを聞いてるだけじゃなくて
仮にうまくいかないとしても
自分なりに生きてもいいんじゃないか。
そういうわけで
ノウハウ身につけたきゃ
「徹底的にぱくれ(TTP)」推奨には
もう従わないことにした。
「まるぱく」などはしなくていい。
そんな時間もエネルギーもない。
本当に本当に
その人の全てが素晴らしい!
と思えるなら別だけど。
そういうひとはいないと思う。
というか
その人がどんなに素晴らしくても
他人にはならなくていいやと思う。
だから基本的には
いっちょかみする!
積極的に!
いいなと思うとこだけ!
美味しいとこどりする!
そもそもTTPが必要なのはなぜか。
その物事を成り立たせるための
本質が理解できてないからだ。
その場合丸ごと取り入れるしかない。
でもそこから守破離だ何だと
リファインすんのはめんどくさいよ。
最初からエッセンスがわかるなら
そこだけピンポイントで
真似ればいいだけですよ。
多分、そういうとこさっとつかむ
のはセンスだと思う。
センスというと見も蓋もないけど。
習得可能なスキルとしては
苫米地英人流表現を借りれば
抽象度を上げる、ってこと。
といってもまだあんまり
説明になってないかもだけど。
まあ。
要するに。
わたしもそろそろ
自分の人生に責任持って
自分の頭で考えて
生きて行こう
って話。そんだけ。
