レオヤナギさん!どちらへ? -35ページ目
田中良紹氏の「国会探検」より
<転記開始>↓
2013年1月 7日
「安倍自民党は1人区を制するか」
安倍政権にとって今年最大の政治課題は参議院選挙に勝利する事である。今回改選期を迎えるのは07年の参議院選挙で当選した議員で、その選挙こそかつて安倍総理が自民党を惨敗に導き、09年の政権交代に道を開いた因縁の選挙である。それを回復しないと安倍政権は本当に勝利したとは言えない。
昨年末の衆議院選挙の結果は自民党の勝利と言うより民主党の自滅だった。そのことは自民党自身が良く知っている。だから現状を「仮免状態」と位置付け、「本免許」を得るまでは慎重に「安全運転」で行こうとしている。そのため国民が望む「景気回復」に国民の目を集中させ、本当にやりたいことは衆参両院で過半数を得た後、安定した体制を作ってからと考えている。
その参議院選挙を決定づけるのは1人区の勝敗である。1人区は全国に31ある。いずれも人口の少ない地方の選挙区で、07年の選挙では自民党は6選挙区しか勝てず、17選挙区で勝利した民主党に惨敗した。敗北の原因は小泉構造改革が大企業を優遇して経済成長を図った結果、都市と地方との格差が拡大したからである。
一方では市民主義を掲げ都市型の政党と見られていた民主党が、小沢一郎氏が代表になったことで都市型から脱却し国民政党の装いをこらす事に成功したからでもある。その選挙で安倍自民党が「成長を実感に!」というキャッチフレーズを掲げたのに対し、小沢民主党は「国民の生活が第一」を掲げ、1人区で17対6の勝利を収めた。
昨年末の衆議院選挙の特徴は史上最低の投票率を記録したことである。突然の解散で争点の整理がつかないまま小党が乱立し、有権者が判断しかねるうちに投票日を迎えた事が要因と考えられる。さらなる特徴は投票率の下落が都市部ではなく地方で大きかったことである。普段は選挙に熱心な地域ほど今回の選挙には行かなかった。
前回と比べて投票率を最も下げたのは富山県で下落幅は17%、次が北海道で15%、次いで鹿児島、青森、福島、新潟、石川、高知、宮崎、岡山、熊本などいずれも13%を超える下落幅となった。前回の選挙で70%を超えるか70%近い投票率を示していた地域が軒並み50%台だったのである。
これを参議院の1人区で見ると、沖縄の8.9%下落が最小で、最大の富山から沖縄までいずれも大幅に投票率を下落させている。いつもは選挙に熱心な1人区の有権者が今回の総選挙は棄権した。民主党に対する期待が裏切られ、さりとて自民党に投票する気にもならなかったのか、あるいは政治そのものに絶望したのか、投票に行かなかった1人区の有権者が次の参議院選挙でどのような投票行動に出るのかが注目される。
09年の衆議院選挙で自民党を支援した業界団体は農協だけだった。それは民主党がアメリカとの自由貿易協定をマニフェストに盛り込んだからである。自由貿易協定の見返りに民主党は農家戸別所得補償を打ち出し、それが農協には自らの存在を否定される政策と映った。「自由貿易協定で日本農業は壊滅する」と叫び、農協は自民党を全面支援した。
一方、小泉構造改革によって医療の現場からも不満が噴き出し医師会などが自民党から離れ、また公共事業の恩恵にあずかってきた建設業界は、民主党政権誕生の可能性がある事から積極的な自民党支援を行わずに様子見を決め込んだ。
自民党が次期参議院選挙で1人区を制するためにはこれら業界団体を味方に引き入れなければならない。そこで打ち出されたのが大規模公共事業プロジェクトである。これが地方経済活性化のカギになると自民党は大々的に宣伝する。しかし過去の経験から大規模公共事業によって潤うのは大企業であり地方でない事が分かっている。ただそのことが実感できるには時間がかかるので参議院選挙までは期待を抱かせる事が出来るかもしれない。
問題はアメリカとの「同盟強化」を打ち出した安倍政権の姿勢である。「同盟強化」が日本の国益のためなら良いが、日本の国益とアメリカの国益が重なり合うとは限らない。特に冷戦後のアメリカは日本を安全保障上の「弱い環」とみて、安全保障と絡めて日本から経済的利益を吸い上げようとしている。
それが宮沢政権以来突きつけられてきた「年次改革要望書」に現れた。鳩山政権がこれを廃止すると、アメリカは今度はTPPへの参加を要求してきた。TPPは経済的な国境をなくすことを目的に、アメリカンスタンダードに各国を巻き込もうとするもので、中国や韓国、インドネシアなどは不参加を表明している。自民党議員の多くも「反対」を訴えて今回の選挙を戦った。アメリカの要求に応えて参加に前向きになれば農協や医師会が反発する事は必至である。それは1人区の選挙に強く影響する。
鳩山政権が「年次改革要望書」を廃止した事でアメリカの不興を買い、普天間問題できりきり舞いさせられたのを見て、菅政権や野田政権はTPPに前のめりの姿勢を見せた。「日米同盟強化」路線を採る安倍政権がこれまでの政権とは異なり「対米従属」でない事を見せられるかどうか、参議院1人区の選挙はそれにかかっている。
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武田邦彦(中部大学)氏のブログより
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平成24年12月31日
総括:アウシュビッツと原発再開
「切迫した集団心理」がもたらす狂気
「tdyno.33-(11:25).mp3」をダウンロード
年を終わるに当たって、どうしても解決しておかなければならないことがあります。
それは、福島原発事故が起こって以来、「なぜ、これまで政府、法律、権威、官庁の指導等を重んじてきた人たちが、ほぼ1、2年で自由奔放な考え(被曝について、これまで自分が行ってきたこと、法令の精神や規則、通達を無視すること)に変わったのか?」ということでした。
私の知人にもごく常識的で、どちらかというと私より保守的、謹厳実直、普段から余りふざけることもない人たちが、判断を豹変させたのです。このことで親しい人を何人か失うことになりました。そういう人がテレビで「被曝が危険だといっている武田は何だ!」と叫んでいるのを見て哀しくなりました。
今から70年ほど前、戦争が終わった頃、あれほどアメリカを憎み、戦争を賛美した人たちが保身のために新政府の要人に身の安全を頼む醜い姿を思い出します。
(事故前)原発は危険がある。被曝はとんでもない。法令は守れ。大臣の指示は重視すべきだ。日本人に誇りをもて。
(事故後)原発は安全である。被曝は問題ない。法令は守らなくても良い。大臣が決めた事故時の基準など無いも同然だ。外国のNPO(ICRP)が日本の法令に優先する。危険でも原発を再開しろ。
一般の知識人がもっとも大きく変化したのは「被曝」についての感覚だとおもいます。
事故の前は「放射性物質」というととにかく避けようとしたものですし、連続的にレントゲンを10回もとるというと、「そんなことできるかっ!」と激しく言った人が、原発事故の後は子どもたちに1年400回のレントゲンを心配するお母さんに「ヒステリー」と非難するようになったことです。その典型が朝日新聞です。
これらの人たちが事故後に勉強したということではありません。おそらく1年1ミリ(一般人の被曝限度)、1年0.05ミリシーベルト(原発敷地境界)、それに1キロ100ベクレル(一般物の汚染限度)などもともに学んだはずですが、自分に都合の良い数字(1年100ミリ)だけを受け入れたのです。
知識人がそれまでの信念を捨てて電力にすり寄った原因の一つは、「福島の人が病気になるのだから、俺には関係がない。それより少しでも経済が停滞する方が俺には問題だ」という思いが心の底にあるのでしょう。福島の人の健康より、自分の所得が1万円でも減るのが困ると思っているのでしょう。そのような自分の心の底にある「利己的正しさ」を隠すための学問がヨーロッパの倫理学、その言葉が「絆」だと思います。
しかし、もう一つ「集団的」なことも考えなければならないと感じます。それは歴史的にもナチスのドイツ、スターリンのソ連、それに20世紀後半のアメリカに見られるような残虐なことが平気で行われたという事実を考えなければならないからです。
ナチス時代のドイツで行われたアウシュビッツの虐殺などは「ドイツ人独特」と考えられていましたが、戦後、アメリカで心理学的な実験が行われ、「切迫した環境の中では人間は集団的になんでもするようになる」ということが実証されました。つまり普段なら絶対にしない残虐行為や信念に反することでも「上司の命令」ならすぐできるというものです。
人間がこのように変化するには、
1)切迫した事実、
2)上司の命令、
それに日本人の場合、
3)隣もそうしている、
という3つの条件が必要となります。その点では、原発爆発事故は、
1)本人が被曝を恐怖に思っているほど、切迫した事実になる、
2)不景気の中で、もしくは順調に出世してきた中で、万が一にもそれが破壊されることに対する底知れぬ恐怖心、
3)政府や関係官庁、取引先などの上司筋の態度、
4)マスコミが作り出す空気、
のいずれもが「切迫した集団心理」を作り出す条件を満たしていました。
このように考えると、ナチスのドイツ、スターリンのソ連、それに日本の戦前・戦後と同じように、切迫した集団心理によって「異常な行動が普通になる」ということも理解できます。
しかし、このことを「信念を大きく変えた人」に直接、聞いて見たいと思っています。先日、そのうちの一人が私に小声でこう言いました。「武田先生、原発を無くすことはできないらしい」。
この話は集団が作るある雰囲気と、100の事実や論理も一言の耳打ちで変わるということを示しています。指導層は忙しいので普段から十分な議論をするのではなく、ちょっとした耳打ちの中に真実があると信じているので、それまで自分が考えてきたことを一気に捨てることが多いのです。
自分が指導層の一部であり、大衆とは違うのだという優越感もまた、今回の逆転劇の要因の一つになっていると思います。
1) 切迫した事実、
2) 自分の損害、
3) 上司の命令、
4) 空気、
5) 耳打ち文化
というのが私の年末の結論です。そして被害を受ける多くの国民、子どもたちは結局、その国の指導層のレベルで運命が決まっているような気がします。
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武田邦彦(中部大学)氏のブログより
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平成24年12月28日
「被曝のアメリカ兵の訴訟が意味するもの」
「americasoltdyno.31-(9:30).mp3」をダウンロード
共同通信などが流しているニュースによれば、「東日本大震災の後、三陸沖に派遣された米原子力空母ロナルド・レーガンの乗組員8人が、「東京電力福島第1原発事故の状態を正確に伝えられず被ばくし健康被害を受ける可能性があるといして、一人約11億円の損害賠償訴訟をサンディエゴの米連邦地裁に起こした。」
この事件は二つの視点から見る必要があります。
第一に「被曝は「損害」」ということで国際的にも認められているということです。それは「どのぐらい被曝したら、病気になるか?」ということではなく、「被曝自体が損害である」という「概念=コンセンサス=国際的に同意していること」ということです。
日本国内では専門家やマスコミが正しく情報を流さなかったので、「我慢する」とか「被曝など大したことはない」などの情報が流れたのですが、被曝と社会との関係はすでに世界的に決まっていて「被曝=損害」であり、「損害=補償」です。つまり被曝による健康障害の有無やその程度とは一応、切り離して、被曝を損害と認め、その補償を求めています。
このブログでも再三、指摘していたように1年1ミリの被曝限度は「我慢できる範囲」であり、それを超えたものは「損害」になります。また1キロ100ベクレル以下のものは「まったく損害とは認めない」という意味を持っています。
この世界的な合意に基づき(もちろんICRPも同じ考え)、日本の法律でも「被曝をできるだけ避けなければならない」と明記されています。従って、法治国家ならたとえ軍隊であれ、被曝は損害であり、その損害に対して補償を求めるのは国民の当然の権利だからです。
事故が起こって「1年何ミリまで安全か」という議論をする人が出現し、それもほとんど放射線や被曝、人体の劣化などに関係の無い人が発言されてきたという事実、さらには川崎市長のように「児童に被曝させるのが何が問題だ」という趣旨の発言をくり返し、給食に汚染されたミカンを出し続けるなど、日本が野蛮な国という印象を強く持ちました。
このように、政府、自治体、マスコミ、東電、上官などが、法令に反して被曝を容認したり、被曝に関する正しい情報を伝えない場合も犯罪に当たりますから、もちろん日本でも同じ訴訟が成立します。
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第二の視点は、「国」というのは「個人」の集合体であり、決して「個人が国の一部」ではないということです。たとえ軍人であっても、国を守るという正当な目的以外で、不当な損害を受けた場合は、それを「我慢する」ということを命じる「権威」はどこにもないからです。
これはヨーロッパ文明に特有ではなく、日本はむしろ奴隷制度を置かなかった国として、国民が国を作っていること、その中に権威が必要とされるので天皇をおいたという関係になっていて、決して「国が国民の所有者」という考え方はなかったと考えられます。
まして、現在の憲法では、国民の主権、基本的人権のもとで国が運営されているのであり、その点でも民主党政府、各自治体、専門家、マスコミが「国民は国に所有物であるので、法令によって守る必要は無い」という態度に終始したのは実に残念です。
この裁判の帰趨は別にして、アメリカより遙かに長い文化と高い道徳心を持つ日本が、アメリカ兵士の行動に学ばなければならないことは実に残念です。
(録音ではNHKが繰り返し報道をしていないといいましたが、その後、NHKのネットで報道を見ました。若干、報道をしているようです。でもこのぐらいの報道では事故直後の「健康に影響がない」とくり返して、逃げるチャンスを失わせたことはカバーできないと思います。)
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