柳沢敦(仙台)の記事を見つけたので、記録しておきます。
「J SPORTS Webサイト・元川悦子コラム」より
<転記開始>↓
2011年09月27日14:52 Text by 元川 悦子
【Jリーグ】柳沢敦のゴールに見る、大物ベテランがクラブにもたらすもの
三浦知良(カズ=横浜FC)のように年齢を重ねても現役続行にこだわるベテランが多くなった昨今。彼らのプレー環境はリーグを問わず全国に広がっている。
J2を見ても横浜FCのカズを筆頭に、コンサドーレ札幌の中山雅史、ジェフ千葉の藤田俊哉、水戸ホーリーホックの鈴木隆行、ザスパ草津の戸田和幸、ガイナーレ鳥取の服部年宏と元日本代表選手がズラリと並ぶし、JFLにも今夏急逝した松田直樹(松本山雅)、久保竜彦(金沢)、我那覇和樹(FC琉球)らがいる。その全員がコンスタントな活躍を見せているわけではないが、やはり周囲への影響度は大なようだ。
先週久しぶりに取材した草津の戸田も遠慮なく周囲への要求をしている様子で、チーム関係者も「サッカーへの意識は他の選手に比べると頭抜けて高い」と語っていた。日の丸をつけて国際舞台で戦ったことのある面々が、日本中の小さなクラブに「世界基準」を植えつけようとしているのは素晴らしいこと。今のJリーグは若くて安い選手が重用される傾向が強いだけに、百戦錬磨のベテランを役立てる機運がもっと高まればいい。
そんなことを考えていた時にちょうど、ベガルタ仙台の柳沢敦の今季初ゴールを見る機会が巡ってきた。ご存知の通り、柳沢も2002年日韓、2006年両ワールドカップに出場し、2003~2006年までイタリアでプレーした経験を持つ。国内でも鹿島アントラーズの看板FWとして長年君臨したが、徐々に出番が減り、活躍の場を求めて自ら移籍を志願した。2008~2010年は京都サンガに所属し、2008年にはリーグ14得点と2001年以来の2ケタ得点を記録したが、昨季には京都のJ2降格が決定。2度目の新天地を求めた。
同世代の選手たちが現役続行のためにリーグカテゴリーを落とさざるを得なくなる中、柳沢は技術の高さ、幅広い動き、20代の頃のキレを失っていないことなどが評価され、J1の仙台移籍が実現した。しかも手倉森誠監督は彼をキャプテンに指名。チームをまとめる重要な役割を託した。仙台としてはそれだけ大きな期待を彼に寄せていたのだろう。
本人も開幕前から新シーズンに強い意欲を示していた。その矢先に東日本大震災が発生。柳沢は率先して避難所の手伝いに行くなど、仙台のリーダーとして最大限のことをやろうとしていた。しかしこの直後の関東合宿中に負傷。長期離脱を強いられてしまう。マルキーニョスという傑出したストライカーも急遽ブラジルに帰国してしまい、ピッチに立てない柳沢はチームに申し訳ない気持ちでいっぱいになったはずだ。
6月にやっと復帰を果たしたものの、ゴールという結果が出ない日々が続く。出場機会もコンスタントではなく、本人も焦りと苛立ちを募らせただろう。そんな苦しみが3ヶ月あまり続いた9月24日。2002年日韓大会で彼のアシストによってロシアに勝った思い出の地・日産スタジアムで柳沢は待望の得点を挙げる。
開始12分、素早いリスタートから左サイドで梁勇基が絶妙のクロスを挙げた。これに反応した柳沢は落下地点をしっかり見ながら動いてヘッド。技ありのプレーで仙台に2点目をもたらした。彼が96年にプロ入りしてからさまざまなゴールパターンを見てきたが、このようなヘディング弾はかなり珍しい。本人も「あまり記憶に多くない形。でもいいヘディングで入れることができた。ボールも上がってきて、合わせた時の感触がよすぎて体に残っていないくらいだった」と会心の今季初得点を喜んだ。
このゴールは彼にとって大きな意味を持つ。「僕自身、ゴールがなければサポーターのみなさんに受け入れてもらえないという意識が強かった。ここまでいろんなことが重なって、本当に長かった。結果が出てやっと仲間に入れたと思う」と本人は心から安堵した様子を見せた。大物ベテランという目で見られ続けたからこそ、「仙台のために何かしなければいけない」という思いは誰よりも強かったはず。それを実際に結果で見せたことで、彼の重圧は少しでも柔らぐのではないだろうか。
仙台のチーム関係者は「ヤナさんは試合に出ていなくても献身的にチームを引っ張ろうとしていた。メディア対応も1つ1つ丁寧にやっていたし、自分のあるべき姿を行動を持って示していた。本当に素晴らしいと思う」と話し、結果いかんに関わらず周囲からリスペクトされていたことを打ち明けてくれたが、やはりピッチで結果を出すのがプロ。その第一歩を踏み出したことで、彼はさらに大きな存在感をかもし出せるようになるのではないか。ベテランの価値を高めるためにも、シーズン終盤戦の柳沢の活躍を心待ちにしたいものだ。
元川 悦子
もとかわえつこ1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。ワールドカップは94年アメリカ大会から4回連続で現地取材した。中村俊輔らシドニー世代も10年以上見続けている。そして最近は「日本代表ウォッチャー」として練習から試合まで欠かさず取材している。著書に「U-22」(小学館)「初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅」(NHK出版)ほか。
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