始めてご覧になる方は
「能登地震と安倍晴明が描いた金神9」から
ご覧頂けると分かりやすいと思いますので、是非ご覧ください。
安倍晴明が描いた「金神」は
「簠簋(ホキ)内伝」に記されています。
金神は「東北鬼門日本海守護神」として
今回能登地震のあった能登の「須須神社」に
祀られています。
今回の元旦の能登地震で、金神が復活しました。
金神は、
京都八坂神社の牛頭天皇によって5つに切り裂かれ
艮の地に祀られました。
京都八坂神社から見たら
能登半島は鬼門の方角です。
「金神」について書き記したのは
安倍晴明と「日月神示」を書いた
岡本天明が有名です。
日月神示でも
艮の金神は「たつ」の年に復活を宣言してました。
それでは、これから迎える
金神五節句の3月3日「蓬の草餅」について触れます
詳しくは「金神」を
ウィキペディアで検索ください。
金神の在する方位に対してはありとあらゆる事が凶とされ、この方位を犯すと家族七人に死が及び、家族七人が居ない時は、隣の家の者まで殺されると記されています。
菅原道真が太宰府方面に左遷され
亡くなった後に、彼を追い遣った人々が
次々に亡くなった話は有名です。
一人目「藤原菅根」
雷にあたって亡くなった。
二人目「時平」
39歳で急死。
三人目「醍醐天皇の皇太子保明親王」
21歳で亡くなった。
四人目「保明の子、慶賴王」
5歳で亡くなった。
五人、六人目
「大納言の藤原清貫」「右中弁の平希世」
落雷にあたり死亡。
七人目「醍醐天皇」
道真を追い遣った本人の崩御
道真の死の前から、栢野大杉はありました。
樹齢2300年なので。
道真の前は「ウツロキ」と言う
雷の神が祀られていたのでは無いかと思います。
京都の「北野天満宮天神」の勅号は
一条天皇から送られました。
一条天皇は安倍晴明に禊の奉仕を受け、
病から回復したと伝えられています。
一条天皇を通して、菅原道真は安倍晴明によって、鎮魂する事が出来たのかも知れません。
続きはまた次回。