「自己嫌悪」ってもう流行らないんですかね。
死語ってこともないんでしょうけど。
私なんかは、思春期をすごした昭和の時代、この言葉をなしには語れなかったのですけどね。令和の時代、ついったでもそんなつぶやきをとんと見ません。
なんでだろう?
一方、誰かを冷やかすおちょくるバカにする攻撃的な文言はこれでもかってほど飛び交っているようです。獲物を探してクルージング(「クルージング」!!)している者たちがいるのですね。彼らは自分の主義主張とは全く関係なく、誰かを嘲笑愚弄したいばかりにその空間に漂っているのです。
彼らは、自分の浅はかさが露呈して決まり悪くなったりすることはないのでしょうか。自分の短慮が知れて「自己嫌悪」になったりすることはないんでしょうか?
「自己嫌悪」
思い出すのは、1997年に制作されて日本でも人気だった海外ドラマ「アリー・マイ・ラブ」のあるシーンです。弁護士でもある主人公アリーが自身のしでかしてしまった軽はずみな言動を恥じ、壁に自ら額を何度も打ち付けながら「死ぬのは一度だけ、死ぬのは一度だけ」とつぶやくシーンです。
さもありなん。誰の人生にもそういう瞬間があるものなんです。
ただ、自分自身の古い記憶を探ってみると、自分の浅はかさが露呈したときに、それを露呈させた誰かに喰ってかかりたいという気持ちになったことがあったことも思い出されます。恥をかいた、ではなくて、恥をかかされた、と思うんです。
消え入りたいほどの羞恥心。それを自分のものとして受け止められないと、そのマグマみたいな感情の持っていき場がなくなってしまう。それで、目の前の自分に恥をかかせた人物に喰ってかかる、というわけです。そんなことしたって自分の浅はかさが消えるわけもないのに。
最近、山本周五郎作の物語を朗読で聞いているんですけど、やたら短慮な侍が「恥をかかされた」と言って刀を振り回すなんていう場面が多すぎて、こちらが赤面します。
ああ、侍じゃなくてよかった。
簡単に人切ってますよ、私に刀持たせたら。
あ、私がバカでした、てへぺろ、ってできるのは
生き物としては強いんですよ。きっと。
それにしても、刀を振り回す人間は、そんなに自分の存在が揺らぐのが怖いんでしょうか。「恥かいたくらいで揺らぐんかいおまえの存在は」ってとこもありますけど。
誰かを攻撃していれば自己嫌悪には陥らないですむってことですかねえ。自己嫌悪って、自分への攻撃ではあるけれど、とりあえずは(100%でないにせよ)「自分と向き合う」ことでもあるのかもしれないな。誰かを切るよりよっぽどマシに思える。
今でも私は時々、昔の不始末を思い出すたびに、アリーみたいに壁に頭を打ち付けたくなります。そうでなければ大声を出します。「がー!」とか「バカっ」とか。
自己嫌悪のない人生っていうのも世の中にはあるのかもしれませんが、私はこういう人生も悪くないと思うんです。
「恥の多い人生を送ってきました。」って、太宰でしたっけ?
それもまた、よし。
