久々に会った弟の態度がどこかでみたことがある、と思ったら昔の私でした。
「自分を認め慰め理解してくれる誰か」を欲しがっていた頃の私です。
ああ。
稚内の港の夕暮れ。やっぱ海はいい。港はいい。
彼は、自分と同じ記憶を大切にしていない私を責め
自分と同じ価値観を持たない私を嘆きます。
「違う世界を見ているのだから持っている記憶も違う」
といくら言っても彼には通じません。
他人を自分の延長のように思いながら育つとそうなるのでしょうね。
でも、他人は自分の延長ではないのです。家族であろうと友人であろうと、自分以外の人は他人でしかない。だからこそ、そういう違う人間同士の関係こそが尊いものとなるのです。
「自分と同じであれ」
「自分を愛せ」
その思いを言葉にし実行することを暴力と思えない人と誰が好き好んで共にいようとするでしょうか。彼の狭さに私は胸がふさがれます。
そこから見える景色はどれほど歪んでいるか。そのことすら彼は気づかない。
(もちろん私の見ている景色にもバイアスがかかっています。ただ、彼と違うのは
バイアスの存在を知っているってだけなんですがね。)
私が彼のようにならなかったのはどうしてなのか、とも思います。
たぶん私は、自我崩壊寸前のどん底の体験から「自分を愛する」ということを学んだからかもしれません。自分を愛せない人間はいたずらに他人からの愛を求めてしまう。そこが、求めて叶わない「餓鬼地獄」の入り口だと気づかずに。
「自分を愛する」と言えば、私は毎日自分の作ったカウンセリングカードを開いて、自分と対話をする、ということを、ず~~っとやっているのですが、今思うに、これが「自分を愛する」よいレッスンだったのかもしれませんね。
今日のカード。

