今アジアの大半のボクシングファンは呆然としている 苦戦であった
しかしアグレッシブに試合をはこんだのはパッキャオであった
有効なパンチもパッキャオの方があきらかに多かったと思う
だが 試合後のマイケルバッファーは and New・・・
パッキャオ敗れる うそ! 何で!殆んどの人がそう思ったであろう
確かにこの試合パッキャオの体の動きは少し重く感じられた
必殺の左ストレートも小泉氏が言われる通り流れている気がした
リズムもいつものナチュラルなパッキャオの「ぎごちなさ」ではなく
思い通りに動かない体を何とか自分のリズムにのせようとしているように私には見えた
しかしである やはり有効打はパッキャオが打ち込んでいた
パッキャオの第二波・第三波の波状攻撃を防ぐためにブラッドリーは左ストレートに
左フックをカウンターで打ち込んだ 大した度胸と身体能力である
パッキャオの波状攻撃を止めることには成功した しかしそこから攻勢に転じ
有効打を決めることはできなかった  後半の三ラウンドはパッキャオが失速したため
ブラッドリーだと思うが前半から9ラウンドまではパッキャオがほとんどとっていたのでは
あるまいか すでにジャッジは下されているのだからクドクドいっても仕方がない
技術的なことは専門家の方にお任せしよう パッキャオの精神面を考えてみたい
不可能を可能にした男 マニーパッキャオが世界のスターの一人に躍り出たのは
マルコAバレラを打ち倒した あの試合からである
以後モラレス マルケスとメキシコが誇るスーパースターを面白いようにひっくり返した これだけでもアジアのボクシングファンには信じがたい快挙である まさかこれがパッキャオ伝説の
始まりに過ぎなかったとは当時だれが想像できたであろう
近代ボクシングでフライ級から上がっていったボクサーがライト級チャンピオンの
ディアスを手玉にとって完全KOした そしてデラホーヤ ハットン コット マルガリート
驚異のスーパースター達をことごとく打ちのめし1gに泣くボクシングの定義を
その根底をことごとく覆してまさに奇跡の男になっていった
常に不可能に挑戦するチャレンジャーであった
想像を絶するプレッシャーをエネルギーに変えて
信じられない高みまで駆け上がった男である
 その男がメイウエザーにはぐらかされて下から狙われるだけの男になってしまった
もちろん試合には準備万全で望んでいるであろう 勝利への執念も変わりしないと思って
いるだろう しかし本人すら気がつかないようなところでモチベーションの弱さというのが
あるのではないだろうか 誰一人辿りつけなかった高みに登り続けた男が下から上がってくる
男を計算して迎え撃つ 無心で前人未到の高みに登りつめた男の心は
このモチベーションの変化に対応出来たのだろうか
狙われる者より狙う者の方が強いのである
今まで白鯨を狙い続けてきた男が自らモービーディクになってしまった
過信や油断というのではないモチベーションの希薄さというべきものが
パッキャオ自信も気づかない領域で体を鈍らせているかもしれない
そんな気がした ただパッキャオ敗れるに私自身が向き合えていない
それだけかもしれないのだが
試合後の小泉氏のコメントに救われる
「この試合パッキャオが勝ってたらどう思いますか
ああっ苦戦したけどやはりパッキャオが勝った
ただそれだけの試合に過ぎなかった
負けたことによって価値が出る
ブラッドリーとの再戦 これはチケットが売れる
(興行が成り立つなら実現の可能性が高い)
それに勝てばいよいよメイウエザー戦」
そうもしそうなれば メイウエザーならパッキャオが再び白鯨を追えるのである
あの男なら!



 


地球上にはどれくらいの生命体が存在するのであろう?
私には知る由もないが地球上のどんな所にも唯一存在する生物
それは「人類」である すでに70億を超えたと言われる
まさにヒューマンプラネットと言えよう
 何故これほどまでに繁殖したのであろう?
ひとつには 人類は知恵を持っていた
この人類という生まれたままの姿だとすぐに死んでしまう毛無しザルは
大自然に適応する肉体は持っていなかったが それを克服する知恵を有していた
そして もうひとつは「天敵」がいないことである
自然界は生命体のバランスをとるために 全てに生き物に「天敵」が存在する
しかし 本当に 人類に天敵はいないのであろうか?
その答えを誰もが知っている しかし誰もその名を口にしない
まるで敗戦をむかえた兵士のように
うつむいて雨にうたれる子犬のように
その存在から眼を背けるのである このままで良いのであろうか?
いいはずがない 生きる とは闘いである
どんなに勝ち目のない闘いでも逃げてはいけないのである
あえて私はこの竹刀で呂布奉先に挑むような闘いに打って出るのである
そう 誰もが知っていて口にしない 人類の天敵
まず その名を口にする 闘いはそれから始まる!その名は
無責任歩行物体「OBASAN」
である
ハァハァ…言っちまった…もう後には引けない
闘いのゴングは鳴ってしまったのだ!
次号より「無責任歩行物体OBASAN」の生態に迫る!




セラフィーヌの庭(2008年フランス・ベルギー)
バンタムたかのブログ
という映画を観ました 日本では2010年に


岩波ホールで上映され話題になったそうです


セラフィーヌ・ルイ(1864~1942)という実在した


画家を描いた作品です 存命中はあまり評価されず


亡くなってから有名になった方のようです


絵を自らの仕事とする者には2つのタイプがあります


芸術家と商業画家とでもいいましょうか絵画を専攻されている人が芸術家


イラストレーターや漫画家が商業画家です セラフィーヌはもちろん芸術家です


商業画家は絵に着手する瞬間からいかに一般の人に自分のイメージを伝えるか?


を考えます 芸術家はそんなの関係ありません 内なる何ものか エネルギーに突き動かされて


描いていくからです セラフィーヌの場合は守護天使の声です 


天から絵を描きなさいという声が降ってきて40歳を過ぎてから絵を描き始めます


朝から晩まで下女(今は家政婦という表現を使わなければならないのですが


1900年代前半の下働きの女性の過酷さは今の家政婦とはべつものです)


として働き深夜 貧しくて絵の具が買えないので絵の具を自分で作り


木の板に絵を描いていきます ろうそくの灯りだけを頼りに


寝る時間を割きひたすら絵を描いていきます


こういう行動はすでに一般の方には理解しにくいのでしょうか?


ゴッホが自画像の自分の耳がうまく描けないために耳を切り落とそうとしたのは


有名な話です 狂気の行動といわれますが絵にかぎらず


小説家 シナリオライター ミュージシャン 何かの表現者なら


そこまでやるか とは思っても理解出来ることで狂気とは思いません


では人間が内包する狂気とは何か 映画の後半でパリでの個展という


眼の前の夢を世界恐慌のあおりで失いセラフィーヌは理解不可能な行動にでます


彼女にとっては その日は守護天使が仲間をつれてお祝いのやってくる日なので


決定事項なのです 変更は出来ません ただ他者から見れば狂気です


人はコミュニケーションをとらないと生きていけません


ひとりぼっちだと辛すぎるのです 絵もコミュニケーションの手段ですが


言葉より かなり伝わりにくい表現方法です


創作活動は孤独で辛い作業です 現在でもそうなのですから


彼女の時代 あの環境では今よりはるかに辛い作業でしょう


ギリギリのところでその環境に耐えていたセラフィーヌが個展という希望を見出し


その希望を奪われた時に心のバランスが壊れ 内なる狂気がキャンバスではなく


行動に出てしまった そんな風に感じました


狂気を内包しない人間は存在しません


何かの表現者として生きている人は そうでない人より


内包している狂気の質量が大きい気がします


「セラフィーヌの庭」 映像もとても美しく シナリオも過不足無くよく書けており


画家とはどういう人間なのかが描いてある秀作です