「私は再び、エイジズム(年齢差別)とミソジニー(女性蔑視)の不快な炎に包まれました。それは世界中にはびこるものです。世界は45歳を越えた女性を拒否し、強い意思を持って懸命に働き、大胆であり続ける女性がいたら、罰せねばならないという気持ちにさせます」「私はこれまでクリエイティブ上の決断や自分の見た目、服装について、謝罪したことはありませんし、これからもしません。キャリアの初期から、メディアに貶められてきましたが、これは試練であり、私の背後に控えるすべての女性が今後もっと生きやすくなるように、喜んでこれに挑むつもりです。ビヨンセの歌詞にあるように、“私の魂は壊せません”」
ハッとさせられた。
↑これを読んだ後に書いた
このブログのここまでの文章でさえ
結局、年齢のことを
まだたくさん書いている、私。
そのくらい根深いものが
私自身の中にも蔓延っていそう…
実際に感じる身体の変化や
生物学的な “45歳の壁” みたいなものは
どうしてもあるような気はするけど…
それと個人の魅力は
なんの関係ないんだってこと
忘れがちな気がしたし、
実際に魅力的な人だって
たくさんたくさん居るじゃないか❣️
ついつい、これからの人生が
余生のように
感じてられてしまう時があって…
まぁ…
その感覚は感覚で
間違ってはいないのかもしれないけれど
子育ての多忙期を経て
自分だけの時間… 夫婦2人の時間…が
またたくさん戻ってきた❣️みたいな。
なんというか、
ただただ年老いて
廃れていくだけ…
みたいに無意識に感じられてて
勝手に縛られていることがあるなぁ… って。