(つばき 2025.2)



長いご無沙汰となりました。



皆様、お元気でいらっしゃいますか?


私は、家族の闘病も少し落ち着き、元気でおります。


愛猫は、4歳(推定)の春に元気いっぱいです。




さて、今回は、沖縄武田薬草園のことを書いてみます。


製薬大手、あの武田薬品が経営していた薬草園が、戦前、沖縄にあったのです。


薬草園は、沖縄戦で米軍の攻撃を受け、消失しました。


では、なぜ沖縄に、武田の薬草園?


当時、沖縄薬草園で栽培されていたのは、麻薬や局所麻酔薬コカインの原料となるコカ樹(葉)だったのです。





歴史的背景を大雑把に言えば、



第一次大戦前頃までは、日本はドイツから医療用コカインを輸入していたのですが、


世界情勢の変転に伴い、輸入の困難な事態に備え、コカを自前で生産する方針が取られたようです。


植民地化の台湾では、すでにコカ栽培が行われていましたが、武田薬品が栽培の適地として選んだのが沖縄。


沖縄大百科事典によれば、


武田薬草園の開設は、1929年(昭和4年)。


場所は、旧羽地村(現・名護市)。


最盛期には、東京ドーム10個分ほどの土地に、18万本のコカを栽培。


葉を乾燥させ粉末にした原料を、船で大阪の武田本社に輸送していたとのことです。



(緋寒桜 2025-2)



広大な土地は、当時、沖縄にあった武田薬品総代理店の薬局経営者や羽地村長の仲介により買収。


農夫は、羽地村民のほか、遠くの村からも雇い入れ200人余り。


戦時中は、女学生たちもコカ葉の摘み取り作業に駆り出されたといいます。


戦後、薬草園は米軍が接収し、後に用地を武田薬品から買収。その後、入植者を募り、内原部落を創設。


戦争中と、戦争後の薬草園を描写する記事。

「...米軍はそこに(注:薬草園)たくさんテントを張って、...別の部隊に合流しようとする日本兵の動きを警戒していた。...

戦争で荒れた薬草園には、雑草のほか野イチゴが実ったりもしたから取りに行ったら、近くに日本兵の遺体が放置されていて...」
(屋比久三男 87歳 「語れども語れども うまんちゅ〈注:御万人=みんな〉の戦争体験」2024.3.31 沖縄タイムス)


NHKアーカイブスによれば

朝から夕方までコカの葉を摘み、そのあと乾燥。


当時、16歳でこの作業に携わった方の証言では、あまりにも、ひもじくてコカの葉をたくさん食べた、と。


当然と言えば当然ですが、16歳の少年には、コカがどんな葉なのかも、またどのように使われるかもまったく知る由のないことだったのです。


武田薬品のHPには、

1933年開設の京都薬草園(現・京都薬用植物園  )の紹介はありますが、沖縄薬草園については見当たりません。社史にはあると思われます。


(毎日、庭さんほ)


熊野直樹氏の論文(コカと日独関係、ウェブより) を参考にすれば、

当時、医療用コカを製造していた製薬会社は、星製薬、武田長兵衛商店(現・武田薬品)、三共、江東、鹽野義(しおのぎ)の5社でした。


話は少し脱線します。

星製薬というのは、ショートショート(掌編小説)で知られるSF作家・星新一氏のお父上が創業した会社です。


今回、日本の医療用コカなどを調べる過程で、星新一氏の著書『人民は弱し 官吏は強し』に出会いました。


星氏は、原稿30枚を依頼されると、「長いなあ」と溜息をついたと言う😆話がありますが、この作品は長編ノンフィクション?です。


戦前のコカインなども含めた医薬品行政の中で妨害に遭いながら奮闘した彼の父親の姿(生涯)が描かれています。読みごたえがありました。




話を戻します。


当時、医療用(のち軍需品)コカの最大産地は、沖縄のほかに、前述の台湾、そして硫黄島でした。


特に、戦前・戦中を通じて、コカの生産量が一番多かったのが、硫黄島とのことです。


硫黄島と言えば、第二次大戦の激戦地として知られる島です。


米軍の上陸は、1945年2月16日。
(沖縄本島への米軍上陸は、4月1日)


硫黄島は前年6月に米軍空襲、沖縄もまた前年10月に空襲がありましたが、


硫黄島も沖縄も、1944年までコカの生産記録があります。


前述の熊野氏論文によれば、第二次大戦期、ナチス・ドイツは、「国際的な禁製品」コカを日本から直輸入していたとのことです。





硫黄島は、1891(明治24年)、日本本土に編入され、翌年、硫黄採掘事業が本格的に開始されます。


のち、島の産業は、コカやレモングラスなどの栽培農業に移行。コカ栽培は、1927年からで沖縄より2年早い。(硫黄島でのプランテーションの効果?については、末尾に記した石原俊さんのインタビューにあります)。


1940年(昭和15年)、村制施行。住民1.000人余。


第二次世界大戦の激化に伴い、硫黄島は本土防衛の最前線となり、前述した1944年6月の空襲により島の各部落消失。


軍に徴用された島民をのぞき、住民は本土へ強制疎開させられ、硫黄島での住民の暮らしが終了。


1945年2月、米軍上陸、国内初の地上戦。

そして米軍による占領。


1968年の日本復帰後も帰島が許されず、島は自衛隊基地と化し、今も、島での暮らしは、叶いません。


沖縄の離島のことなど、想起させられます。


こうした島民が辿った特異な歴史、硫黄島という土地の歴史が語り継がれ、日本の歴史の全体像がより鮮明になるよう願っています。


武田薬草園のコカをめぐるうちに出会った硫黄島。有り難い体験でした。


今回、文中の熊野直樹氏の論文はじめ、『硫黄島-国策に翻弄された130年』の著者・石原俊氏のインタビュー記事や、『硫黄島上陸-友軍ハ地下ニ在リ』の著者・酒井聡平氏の記事を参照させていただきました。感謝しています。






(上記3件、ウェブより借用)



最後に。武田薬品はコカイン塩酸塩「タケダ」原末の販売を、原料の輸入困難を理由に2021年、中止。最近知った情報ですが、感慨がありました。


余滴として、
1886年5月に米国で発売されたコカ・コーラ。名前にある通り、1903年までコカが含まれていました。


また、米軍は、25年ほど前に硫黄島の砂を採取し、海兵隊の記念事業で記念品として参加者に配布。
昨年10月、硫黄島の砂を普天間飛行場でのイベントで一個5ドル(ケース入り)で販売。厚労省は、砂の持ち出しを禁止していますが、米軍は管轄外。(沖縄タイムス 2024.10.18)


今回は、この辺で終わります。


かなり不定期のアップですが、今後とも宜しくお願い致します。


まだ、前回の記事のご訪問が途中ですので、そちらを優先してご訪問させていただきます。ご了承下さいませ。


それでは皆様、どうぞお元気で。


(風の匂いを感じて)