けさは20度。
暖かい年の瀬を迎えました。
故郷・八戸は、1度のようです。
このたび、ブロ友の美奈瀬さんが、マリンを描いて下さいました。
すてきな色合いのなかのマリン。色鉛筆画です。
絵に込められたやさしさのなかに、マリンは楚々として存在しています。
嬉しいプレゼント、感謝しております。
皆さまにもぜひ、ご覧になっていただきたく、リブログさせていただきました。
美奈瀬さんのブログには、
変身するときの、深いときめきがあり、
思いの短歌、
絵の世界で構成されています。
絵のなかの瞳は、いつも囁いているよう。構図やタッチ、色合いから醸しだされる世界に、誘惑されます。
芋の花。
芋は、沖縄語で、カンダ。ウムとも。
芋の葉は、カンダバー。
若葉を刻んでジューシー(雑炊)に入れると、トロミが出て、美味しいカンダバージューシーとなります。
芋は、庭のあちこちに。
紫色の葉は、紅芋。
琉球に芋(蕃薯)が移入されたのは、1605年(慶長10年)です。
野国総官が、旱魃で苦しむ農民のために、明代の中国・福州で苗を貰い、鉢植えで持ち帰ったのが始まり。
天候に左右されず、根付の良い芋は村民に広められ、凶作による餓死などを防ぎました。救荒作物、生命の作物です。
さらに、儀間真常が、琉球各地に広めました。
琉球で普及した芋は、その後、どのように全国に広まったのでしょう。
1615年、ウィリアム・アダムス(三浦按針)が、琉球から日本(長崎・平戸)に初めて持ち込み、
平戸のイギリス商館長リチャード・コックスに、栽培を勧め、初めて栽培(その後は不明)。
1698年、琉球の甘薯の噂を聞いた種子島の島主・久基公が、当時の琉球王・尚貞に依頼して、甘薯を一鉢、送って貰い、種子島で広めます。
また、前田利右衛門が、薩摩藩領内に持ち込み広めたのが、その後、西日本で普及。その芋が江戸に持ち込まれ、関東に広められたようです。
(以上は、複数のネット記事参照です)
今ちょうど、芋の花の時期で、つい芋のお話を書いてしまいました😁。
皆さま、今年一年、有り難うございました。
ブログ時間があまり取れなくなりましたが、マリンともども来年もどうぞ宜しくお願い致します。
来年も、沖縄のこと、動植物のこと、その他もろもろ、書き綴っていきたいと考えています。
庭を愉しむマリンと花を数枚アップいたします。
皆さま、どうぞ、よい年をお迎え下さいませ。