サクラ咲く。
1月中旬、庭の緋寒桜(ひかんざくら)が開花。
我が家の桜はわずかですが、寒い季節に、春を呼ぶ花。
今年も無事に、時節を待って咲いてくれたことに、ホッとしています。
桜の開花前には、つばきが満開で、
近隣の方々も、今年はたくさん咲きましたね、と声を掛けて下さいました。
沖縄には、
"チムグリサン(肝苦さん)"という表現があります。
対象が、哀れに思えて心が深く痛むときに使うことば、と解釈しています。
日本語の、いたわしい、という表現に近いかもしれません。
肝(キモ=チム)とは、心のことです。
“チムグリサン"
まっさきに浮かぶのは、
人間によって、殺されていく動物たちのこと、虐待され続ける動物たちのこと。
その原因のなかに、わたし自身も、程度の差はあれ、直接・間接的に関わっています。
最近、イギリス発祥のビーガニズムについての新聞記事を読んだことによって、またブログでたくさんの動物に関する記事を目にし、
動物の生命について、私自身の思いを深めるために、広く一般に西洋では動物とどう向き合ってきたかを知りたく、ほんの少し、調べてみました。
参考にしたのは、「翻訳・動物倫理の西洋文化6」の下記の論文です(ネット検索)。
著者は、1957年ベルギー生まれ。ベルギーのカトリック教会系の神学者・倫理学者。2009年カトリック教会を離脱。
論文は、訳者の河野眞さんによれば
「キリスト教の教学、とりわけ環境問題も含めて(略)創世神話に焦点を当てて動物の問題をまとめ」た論文です。
この論文によって、
いわゆる名だたる哲学者たちの動物に対する見解を大雑把ながら知ることができ、有意義でした。
また、キリスト教の力というべきか、聖書の呪縛?によって、思索の現場では人間優位な思考となっていることに少なからず驚きましたが、
そこから、知の伝統によって、さらに思索が深まり、先鋭的な解釈が生まれ、動物倫理の問題が進んできたようにも思います。
文脈には重要な記述が多くありますが、とても乱暴に一部分を抜き書きしたこと、ご了承下さい。
古代哲学者・アリストテレス「万物は人間のために作られている」「動物は人間の活用能力に服従」「狩猟は、〈自然権にかなった〉〈戦争〉と表現される」
ローマ帝国時代の哲学者・アウグスティヌスは、"動物の痛みを感じる能力について論じる"
16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者・モンテーニュは、"人間と動物の各位比較を行い""人間の傲慢を難詰"する。
近世合理主義哲学者として知られるフランスのスピノザ(1632-1677)は、"人間は、動物を、それが感覚能力を備えてはいても、無制限に利用してもよい」として、「人間と動物のあいだに断絶をつくった」"
ドイツの哲学者カント(1724-1804)は、"人間は、動物に対していかなる責任も負っていないが、人間以外の生き物の苦痛を避け尊重するのは間接的な義務"としている。ただし「生き物が独自な権利を持つことは、やはり想定されていない」
著者は、
「哲学と神学の伝統は、動物の痛みと苦痛に堪える能力を認識するものであったと言うことができるだろう。しかしそれをめぐる認知と行動とは、一般の例にもれず、大きな幅があった」として、
イギリスの哲学者・経済学者・法学者であるベンサム(1748-1832)において、「はじめてそれは、法(正義)倫理の文脈に引き上げられた」と。
ヴォルフ=リューディガー・シュミットの自問(「霊魂問題は古くからのものではあるが、今日なら、豊かな内面性や喜んだりじゃれたりする能力を問う以上に、動物の痛み・苦しみへの感受性が取り上げられるべきではなかろうか」と。
著者は、「苦痛を賞賛し崇高と見る傾向」(キリスト教)が他の生き物の苦痛を軽視する傾向を助長したという命題を掲げています。
1700年〜1800年代のお二人。
上記の表を見て脳裏に浮かんだのは、徳川幕府・第5代将軍・徳川綱吉のこと。
儒学・仏教が背景にある綱吉が「生類憐みの令」を発したのは、1685年頃。病人、捨て子、動物などについての諸法令の総称。
動物については、"極端"とも評されていますが、
たとえば、「馬の筋をのばすな」(1685年)など、慈愛なく、人間の利己的な行為を制する根本的で先進的な内容が含まれていると思います。
今回は、ビーガニズムまで触れたいと考えていましたが、とうてい無理なことでした。
夜、ダンボールのトンネルで遊ぶマリン(男の子、推定2歳8カ月、持病あり)
マリンは、走って、遊んで、よく眠り、たくさんご飯を食べ、元気に見えますが、最近、水をよく飲むようになりました。
心配なので、昨日、血液検査をして貰ったところ、数値的には問題がなく安心しました。
上の写真、眉毛?がとてもはっきり写っていますね(笑)
寒い日には、マリンがお布団に潜ってくるので、嬉しい冬です。私より熟睡するのですよ(笑)
大変、ご無沙汰してしまいました。
以前に比して、ブログの時間がかなり狭められてきました。
お訪ねもアップも遅くなると思いますが、本年もご交流いただけましたら、有り難く思います。
短いブログを書きたいと思っているのですが(難)、今回も長くなりました(泣)。
本日もお訪ね、有り難うございました。