ちょっと長くなりました
お時間、あるときに...おねがい





精神科医で作家の
 杜夫(もりお)さんの本
「怪盗ジバコ」


家のなかに
あるはずなんですが...
まだ探せてないんです


(アチャー❣️)


とても面白かった記憶が
あって


このブログを
書く前に目を通したかった
のに、ザンネーン❣️


かわりに
「どくとるマンボウ航海記」が
あったので、読んでいます
(古びています 笑) 




漁業調査船の、船医として
はじめて
航海に出たときのお話


行く前から大騒動で


航海の経験者たちが
持っていくべし、と

言ったもの...



たとえば


船中で飲むコーヒーの
いかに美味かを力説されて
わざわざネスカフェなどを
買いに出かけ


こまごまとした日用品が
大切だ、と言われれば


「歯ブラシ、鼻紙など
商売できるほど買い込み」


「インド洋はさぞかし
暑かろうと半ズボン」などを
つめ


「冬の北大西洋はさぞかし
寒かろうと」登山に使う
ヤッケなどをつめる 


いつのまにか
すっかり「物持ち」になり


荷作りは
「益々面倒なものになった」 笑



シビアな本音や
ユーモア満載



さて、本題です


北杜夫さんの
お嬢さん・斎藤由香さんの


古い新聞切り抜き(講演録)を
発見したので


かいつまんで
リライトなどしながら
書いてみます


講演は
沖縄県保健医療福祉事業団主催で
「こころの健康づくりトーク2015」


(2015-3-1 沖縄タイムスより)



由香さんは、講演の冒頭で


今日は、斎藤家の不幸な
話を聞いていただき


「斎藤さんの家はもっと大変だ。
うちの家の方がマシだ」と


元気になって帰って
いただきたいと
おっしゃっています


由香さんの祖父は


歌人で精神科医の斎藤茂吉


茂吉の妻・輝子さんの
実家は大病院で


茂吉は斎藤家の養子に
入っています


あるとき
火の不始末が原因で
病院が全焼❗️


運悪く 
火災保険が火事の
一週間前に切れていたりで


後始末に大変な目に
あったことも
話されていました


茂吉と輝子さんには
4人の子どもがありましたが


12年間の別居や
二人の娘を
逆縁で亡くしています


(逆縁、この場合は子に
先だたれること?)


北杜夫さんも
壮年期に
躁うつ病になったり


別居したり
破産したり


いろいろあったようです





北さんが


躁病で大騒ぎすると
奥様が、なだめにかかる


すると北さんは


「遠藤周作さんの家を見ろ!
阿川弘之先生の家を見ろ!
うちより、もっと
ひどいんだぞ」と


叫んだらしいんです 笑


由香さんは、だから
子どもごころに


「阿川佐和子さん
(弘之さんの娘)の家は
どんなに大変なんだろう」と


阿川家を心の支えに
していたそうです 笑


輝子さんは
茂吉を看取ったあと


第二の人生を
歩まれました


本来が行動派の輝子さん


由香さんのお話部分を
そのまま、引用しますと


79歳で南極
80歳にエベレスト
85歳にガラパゴス諸島
87歳に南アフリカのセイシェル


世界108カ国を旅した
スーパーばあちゃん


うつ病にも
ひきこもりにも
ならず


何か困難があると、強くなる


悲しみや辛さに
負けることなく


常に未来を見て


毅然(きぜん)と、生きた方だと


語っています


輝子さんの元気の秘訣を


人の目を気にせず
好奇心が旺盛


人間は自ら
生きる力を持っていることを


祖母(輝子さん)から
学んだとも...

(講演録、ここまで)


生来(せいらい)の
気質の差

環境の差はあるので


真似できないにしても


輝子さんの生きる気概に
元気を貰いました


筆舌に尽くしがたい辛さを
抱えておられる方には


呑気な発言かも
しれませんが...


前向きな明るさ
笑顔を、ほがらかさを


それぞれ
ご自身のなかに
発見して、信じて


ご一緒に!


(私も、自分の精神状態には
自信があるわけでは
ないんですけど...)


皆さま
今日もお訪ね
有り難うございました



追記❣️

北杜夫さんの本
あと1冊、我が家で
発見!(もちろん未読)



遠藤周作さんや
阿川弘之さん
北杜夫さん(映像なし)  は、


1970〜80年代
ネスカフェのCMに
格好よく出演していましたネ
(YouTubeより)