5.6歳のころだったと思う。
海育ちの私の影響か砂浜は
気にはならないのに庭の土が少しでも付くと
取って欲しいと言って来た幼児期。
広報で「米作り」を申し込んだ。
50家族位の人が来てたと思う。
親は働き子供達は大きいお兄ちゃんが指揮を取り
季節の物
長ネギを焼いたり、さつまいもを焼いたり
毎回わちゃわちゃと
楽しんでいたと思う…
家だと焚き火…
何をしても危ない‼️危ない‼️を
連発してたと思う。
畑は自由だった。
その頃から土を嫌がらなくなった…
米作りは数年で講座が終了したが
一人っ子の息子とても楽しかったのか
おじいちゃんが開催してる講座に又行きたいと
言いだした。
「大豆を作り味噌作り」に参加した。
そこから私も家庭菜園に目覚める。
枝豆と大豆が同じだと知った…
段々、大人も子供も減り
息子もお兄さんになり行かなくなった…
が、収穫の手伝いや味噌作り、おじいちゃんの
家の米作りには来てたと思う…。
亡くなる数年前…味噌作りは解散し
お仲間サンと私はそのまま畑を継いだ…
おじいちゃんに叱られ…又それが心地よかった
誰の家のか分からない放置された栗を取り
フキを取り柿を取り…
お仲間サンと2人畑で破裂したスイカを大笑いして
食べてたと思う。
この頃はスイカの収穫時も知らず…
スイカも野菜もスーパーで買う物だと思ってた…。
この年齢になりこれ程、笑いおじいちゃんに歯向かい
なんかほんまにいい時間を頂いたと思う。
田舎は楽しかった…
近所の方達も孫のように
大事にしてくれた。
片道40分…
おじいちゃんが亡くなった…
おじいちゃんのお母さんがお嫁に持って来た
あの大豆は何度撒いてもあれ以来、育たず…
庭になった枝豆とお供えを持って久しぶりに
おじいちゃんの家に。

帰り道
おじいちゃん所に通ってるお母さんの方が
イキイキしてたと。
息子のためにと始めた農業体験。
いつの間にが私の元気の源になっていたのかな…
おじいちゃん、息子も私も元気です。
ありがとうね。
懐かしい思い出です。
