旅は一週間くらい出てたんですがね。

博物館がメインだったので、きちんと史跡巡りしたのは函館2日目だけでした。

 

 

まずは吉川町の極楽寺なんですが。

 

 

諸国戦死忠死群霊。

新政府軍や旧幕軍の戦死者を弔った灯籠と推測されるそうです。

 

あれね、行ってから気付いたんですが極楽寺は元々無縁寺だったのね。

どこかなとは思ってたんですけど。

無縁寺にはたくさんの殉難者が葬られたので、今度1回墓地見てみたいです。

 

 

箱館戦争降伏式之地、亀田八幡宮。

 

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物凄くよく反映していたので、石碑に自分が写り込まないようにするの大変でした。

 

 

うっかりそのまま帰ってしまうところでした。

石碑のある神與殿が、降伏式が行われた当時の本殿とのことです。

 

 

箱館戦争時の弾痕もあります。

 

 

鳥居は函館奉行工藤茂五郎の奉納です。

 

 

大圓寺。

 

 

入口の無縁塚は、五稜郭を築く際になくなった方の慰霊碑です。

 

 

箱館戦争戦没者供養碑。

土方さんの埋葬地説があるところは、全部周りたいなって思ってまして。

大圓寺のこの2本の松の間も、埋葬地の一つです。

 

 

箱館奉行役宅墓。

墓域に点在していた箱館奉行関係者のお墓を昭和50年にまとめたそうです。

こちらは、箱館奉行杉浦誠の娘。

 

 

箱館奉行役宅墓の区域には、殉難者も一緒に並んでいます。

陸軍奉行添役、宮路仙之丞。

 

 

市立函館博物館の研究紀要で、箱館戦争の墓碑調査してて。

市民参加のワークショップだったみたいで、数ヶ所の記録で終わっていて非常に勿体ないと思うのですが。

大円寺の箱館奉行役宅墓は、読み取れるもの全部載っていたので有難いです。

こちらは箱館在住隊砲兵、宮野初太郎。

 

 

紀要じゃ戒名と没日しか書いていないこのお墓。

戦勇院高志道居士 明治元辰年十二月廿七日

うん、どう見ても戒名が戦没者ですよね。

ちょい調べました、他の本では戒名が一字多くて戦勇院忠高志道居士なんですけど、没日が一緒で大円寺埋葬。

お墓に高橋さんから回向料と刻まれているから、ほぼ確定で良いんじゃないでしょうか。

病死か負傷の後に亡くなったかわからないようですが、藩や隊の所属も未記載の高橋島平。

まあ、戒名見たら負傷後の死亡かなと思うのですが。

 

 

役宅墓の反対側には、旧官修墓地。

薩摩藩士、鮫嶋辰造。

 

 

福山藩士、河井要之助。

 

 

箱館在住隊、中村幸六郎。

看板だと山本幸六郎になってたんですけど。

誤字かな?一字もあってないから、どっかで混ざるような山本さんがいらっしゃるのかなと思ってしまいました。

 

毎年、どこでも思うんですけど。

やっぱりお盆はお寺に人が多いですね。

あまり人がいない時期に、函館じっくり腰据えたいですね。