まだ白河残ってるんだな。
二本松藩士慶応戊辰役戦死之霊。
丹羽長重廟の階段下にあります。
大名墓なので山登りかなと結構覚悟してましたが、坂も緩いし道も整備されていて楽ちんでした。
龍興寺。
戦死塚。
この道筋が敗走ルートだったようで、付近の同盟軍四十四名を埋葬しました。
海老名衛門君碑。
海老名衛門は会津藩士で戊辰戦争時軍事奉行でしたが、五月一日の戦いでこの付近の山中で切腹しました。
ここのお寺坂の途中にあるんですが、降り切ると米山越なんですよね。
ってことで、見つけられなかった仙台藩士の碑を再度探したんですが。
やっぱり見つからないなぁ、ただ今回で目星がついたので次回こそは。
妙関寺。
棚倉藩内儀茂助。
戦死供養塔。
明治二年建立、同盟軍のものと考えられていますが詳細不明とのこと。
関川寺。
棚倉藩士権田家の墓。
権田東左衛門が6月12日に亡くなっています。
常盤彦之助。
白河の廻米問屋で、白河藩の御用達だったことが西軍に睨まれ、惨殺されました。
棚倉藩士小池理八供養碑。
五月一日の戦いで足を負傷し、自害しました。
仙台藩士石川大之進の墓。
本堂真裏にありまして、端に反対向きに建っているので下手すると落ちます。
常泉寺。
ここは数多くの同盟軍のお墓があります。
だからでしょうか、目が合った瞬間。
あ。
足にまとわりつく感触。
まともに歩くことすら出来ず。
ずっと付いてきたのです。
にゃんこが。
ちょっと歩いてはナデナデ、またちょっと歩いてナデナデ。
境内は君のお庭なんだねぇ。
墓石の間をスルスルと。
このお寺に埋葬された方は淋しくないだろうな。
明治戊辰戦死之墓。
棚倉藩士阿部内膳の墓。
棚倉藩家老で、16人の精鋭部隊を率いました。
東軍には16ささげと恐れられました。
父の阿部秋風のお墓ってこれなのかしら。
翁の上の字は秋なのかしら。
阿部秋風って、稲荷山の戦死墓の字を書いた方ですよね。
息子の亡くなった戦いの供養碑の字を書くのか、切ないですね。
南無阿弥陀仏。
元は新橋にあったものが移されています。
斬首された両方の橋の脇に作られたんですな。
会津藩士長谷川信之の墓。
会津藩戊辰戦死十二士之墓。
会津藩士笹沼金六の墓。
会津藩士三坂喜代介の墓。
植松庄六の墓。
会津藩士中野半三郎の墓。
棚倉藩士間野保之助の墓。
ちょっと没頭し過ぎたのでしょうか。
帰る頃にはにゃんこも離れていってしまいました。