皆様、GWいかがお過ごしでしょうか。

よなるではほぼ山口におりましたが、日記はまだ白河です。

 

2日目は一番遠いところまでバスで行って、市内の方に歩いて行きました。

 

 

まずは稲荷山麓の長州大垣藩戦死六人墓。

2つ前に書いた武川直枝ら7名の薩摩藩士は、鎮護神山に合葬されるまでこちらのお墓に合葬されていました。

戦死の場所にお墓が建てられたそうです。

 

 

道を挟んで、会津藩戦死者を弔う戦死墓。

 

 

銷魂碑の篆額は松平容保です。

 

 

田邊軍次君之墓。

田邊は明治三年、会津藩が敗けたのは白坂宿の大平八郎が道案内したせいだと思い込み大平を惨殺。

その後自身も自害しました。

 

 

田邊は当初白坂の観音寺に葬られましたが、その後会津藩士の眠るこの地に移されました。

こちらは建てられた当初の墓です。

 

 

後ろの稲荷山は、緩い遊歩道のようになっています。

高くはありませんが、進軍路が良く見渡せます。

こんな小さい山なのにさ、700人近くの犠牲者が出ているなんて想像がつかないですよね。

 

 

白河口會津藩の総督だった西郷頼母の歌碑があります。

ここに西郷頼母で良いのかって気もしますが。

以前見た時は気付かなかったんですけど、蝸牛がいたんですね。

 

 

戊辰之碑。

隣の戦死者一覧には、東西関係なく、民間の犠牲者の名前も刻まれています。

白河口、特に興味深い場所ではあるんですが。

何故かと言えば、飯野藩から森要蔵と息子、門弟が参加しているから。

この一覧には、きちんと森達の名前も刻まれています。

 

そもそも、森達のお参りがしたくての白河行きだったりするのですが。

交通機関がどうにもならなくて、結局まだ叶えられなくて。

車運転できるようになったら、一番に行く場所にしたいと思っています。