まだまだ続きます。

 

 

長寿院。

慶応戊辰殉国者墳墓があります。

戦の最中、周りの寺院の住職が逃げて寺を空ける中。

長寿院の住職は留まり寺を守り続けたことから、官修墓として選ばれました。

 

 

白河役陣亡諸士碑。

篆額は有栖川宮熾仁親王。

 

 

官修墓は結構な数があるからどうしようかなぁ。

取りあえずは、個人的に思い入れのある方のみで。

 

佐土原藩士の三雲為一郎。

中井範五郎と一緒に任命された豆相軍監です。

箱根は生き延びたけど、会津は生き残れなかったんですね。。。

 

 

前回書いた通り、薩摩藩の殉難者は鎮護神山に合葬されているんですが。

元は長寿院にもお墓がありました。

最近、木柱作ったみたいです。

 

 

大々的に官修墓なので、大久保利通寄贈の石燈や。

 

 

岩倉、木戸寄贈の石燈もあります。

 

 

永蔵寺。

 

 

戦死供養塔。

 

 

上の供養塔探す際に、地続きのお寺に迷ってそのまま大統寺住職賢邦のお墓です。

元は薩摩の人で、西軍の使いとして棚倉藩への降伏の使者となりました。

 

 

南無阿弥陀仏碑。

激戦となった5月1日の戦いで捕虜となった東軍数十人が、谷津田川に架かる2つの橋で斬首になりました。

その慰霊の為に建てられたのがこの碑です。

 

個人的な見解なんだけど、戊辰戦争って全体通して思ったよりも虐殺はしないというか。

責任者に全て負わせて、他は謹慎後解放される印象なんですけど。

白河口の戦いは、突出して残虐だなと思うのです。

エピソード的には東軍の方が多いんですけど、ここの西軍の行為で人数的には多くなってしまうんですよね。

 

 

斬首の場所となった円明寺橋と。

 

 

新橋。

 

 

寺小路の戊辰役戦死之碑。

 

 

建碑之趣意。

蛇石、文珠山、桜町付近に埋葬されていた東軍兵士を合葬したものです。

この石碑にその旨が刻まれています。

 

 

八竜神にも同じ碑があります。

 

 

こちらは藤沢、土武塚、八竜神等に埋葬されていた東軍兵士が合葬されています。

 

 

戦魂供養塔。

 

ちなみにこちら、斎場近くにありまして。

写真撮ってたら気になって見に来た方がいて。

ずっと白河にいても全然知らなかったって、地元だとそういうものな気がします。

色々聞いてもらえるのは嬉しいけど、喪服着て憔悴している方にどのテンションで話して良いのかわからないわ。。。

 

 

南湖の、棚倉藩鎮英魂碑。

篆額は旧棚倉藩主阿部正功。

「英」の一文字に、建てた方の想いが詰まっていそうです。

今でも慰霊祭が続いているそうですよ。

 

ちなみに周りは石碑だらけで、結構探しました。

戻ることも考えれば、これくらいで限界かなー。

これにて1日目終了です。