では、目的のツアーのことを。

 

団体行動も苦手で、ましてや相部屋なんてな私が何故ツアーに参加したかと言えば。

まあ、日記のタイトル見てもらえればわかるんですけど(笑)。

中でも、只見の史跡を周れるのが魅力的で。

ずっと医王寺の河井継之助のお墓に行ってみたかったんですけど、只見線本数少ないから躊躇してたんです。

 

ただ、私の中でこういうイベントの基準が都内近郊のものになってしまっていたので。

失念していました、ちょっと浮いてるわ(苦笑)。

新選組関係だと、自分より若い子全然いるんだけどなー。

でもなんだかんだで皆さん構ってくれて楽しい2日間でした。

 

 

しかしながら、ツアーなので。

メインでないところは車窓から流すのみになってしまいます。

 

奥畑義平の静修義塾跡。

父伝兵衛は村松藩士、赤坂峠で戦死しています。

 

 

あ、あ、あ。

もう全然写らない。

幕府軍の陣地となった観音堂を通り過ぎました。

周囲を見渡せるように、近くの家が焼かれてしまいました。

 

 

止まって、止まってぇーーーっ!!!

石段に砲弾痕がある石動神社。

ここも陣営にしたそうです。

 

 

後ろ髪引かれながら、赤坂峠古戦場跡。

ここは降りて説明が聞けました。

 

 

近くには村松藩士金子喜兵衛の墓があります。

元々は山中にあったようですが。

何度直してもこの地まで転がり落ちてしまうそうです。。。

 

今回は周れませんでしたが、山中には遊歩道もあり。

恐らく戦死者が埋葬されたであろう跡があるそうです。

 

 

北越戦争伝承館から、八丁沖を眺めます。

この資料館しか寄らなかったんですけど、いつかゆっくり八丁沖古戦場を巡りたいものです。

 

 

お昼を食べた後、憧れの地只見に到着しました。

ここからは徒歩も交えて只見の町を巡ります。

 

只見、150年に合わせて関連史跡に標柱を設置しています。

しっかりした戊辰戦争史跡巡りのマップも出されてて、本当150年最高です。

標柱は冬季撤去されるそうなんでご注意を。

只見町のホームページでこのマップを見ることが出来ますよ。

 

で、長福寺は東軍が去った後西軍の宿舎になりました。

 

 

只見代官所のこちらのお家では、会津藩士の丹羽族が自刃しています。

長岡藩士が逃げ延びてきて、食糧調達が困難になりその責任をとって自刃しました。

非公開ですが、今でもそのお部屋が残っているそうです。

 

 

長岡藩主・牧野忠訓宿所跡。

建物は焼失してしまっていますが、藩主が使った布団が残されているそうです。

 

 

長岡藩・姫君宿所跡。

忠恭室のつね姫はかなりなお人だったらしく、見眼麗しい藩士の松蔵を誘惑し女児を出産。

松蔵は勿論死罪となるところでしたが、河井継之助が助けて従者としました。

 

 

元白虎隊士篠沢寅之助の逗留地。

明治6年、只見小学校に教員として赴任した際に滞在した場所です。

折角生き残ったのに、西南戦争で亡くなってしまうなんて切ないですね。

 

 

ここだけ標柱がありません、長岡藩・牧野忠恭宿所跡。

忠恭さん。。。

 

 

只見で亡くなった長岡藩士、石垣龍三郎の墓。

 

 

河井継之助が7日間逗留した、目明し清吉の屋敷跡です。

松本良順が河井の治療に訪れたのもこの場所です。

 

いやぁ、ツアーって楽ちんだのぅ。

早めに只見の旅館に到着。

宿は旅館みな川さんでした。

 

いやぁ、ここが美味しい!

 

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こんな山菜メインの豪華なラインナップに。

 

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後から鮎が出てきたり。

 

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郷土料理や名物のおこわも。

なんで、全部まとめて1万ちょいのツアーなのにこんなに豪華でいいの!?

みんなで吃驚しながら食べました。

こんなに良いお宿があるのなら。

宿泊するつもりなら、只見に交通機関で来るハードルも下がますよね。

 

まあ、地元の方にしてみれば往々にして不思議なものよね。

あんたは何故こんな場所まで来ているのか?

酔ったオジ様方と戊辰戦争談義で1日目は終了です。