新潟駅戻ってきました。
突然ですが、夏だ、港町だ、岩牡蠣だ。
ボーナスも出たし、美味しいものが食べたい。
お昼は人気のお寿司屋さんに行ってみることにしました。
確かにまあまあ美味しかったけど、お目当ての岩牡蠣が握りで小さいんですよ。
そこそこにして、隣の魚市場行ってみました。
満足。
牡蠣が一番の好物なので、たらふく食べてみたいです。
さて、ここからどうしますか。
もう1ヶ所行きたいけど、バス乗り継ぎしないといけないから結構時間かかるな。
と、目の前でお客様を降車させるタクシー。
すみません、護国神社まで。
直線距離でワンメーターくらいかなと思ってたら、どんどん上がるメーター。
ふと我に返って思いました、なんでこんなに贅沢してるんだ?
と言う訳で、楽々で新潟縣護國神社。
本殿遠いから周りましょうか?
いえいえ、もうメーターが。
じゃなくて、用があるのは入り口近くなのでここで良いです。
戊辰役殉難者墓苑。
新潟縣護國神社は、常盤ヶ岡に西軍の戦死者を祀る新潟招魂社が前身です。
昭和20年に現在の地に移されました。
上の薩摩藩とか、十津川郷士の慰霊碑とかは撮りやすいんですけど。
最近は招魂社でも全部撮ろうかなと思ってます。
途中からしゃがめなくなりましたが。
ここは個人ごとのは250前後くらいありそうかな?
左右撮ったものがあるので、正確な数がわかりませんが。
ただ、何故か越前藩の墓碑だけ削り取られてます。
10基あって、殉難者名鑑の福井藩で新潟葬になっている方が夫卒以外で10人だから。
恐らくその10人だとは思うんですけど。
彼らだけ削られる理由はなんでしょうか?
福井藩で人に恨まれると言えば、久保村文四郎とか思いだしますが。
ここ、会津じゃないしなぁ。
新潟招魂社は明治元年の創建だけど、お墓建てたのと削り取られたのは時間差がありそう。
昭和62年に、招魂社跡の土地から92体の人骨が発見されました。
東軍の戦死者とみられており、慰霊碑が建てられています。
なので、ここは全国でも珍しく東軍と西軍が一緒に慰霊されているのです。
近くには色々史跡もあるのですが。
無理をしないのがこの日のテーマなので、ホテルも離れてるし1日目は終了です。