大好きな大好きな広島が大変です。

今回の豪雨は、この1年に行った場所が多いので余計に切ないです。

袖振り合うも多生の縁。

道を聞いたあの方は、説明してくれたお寺の方は、お茶とお菓子をくれた奥様は。

みんなみんなご無事だろうか。

私に何が出来るのだろう。

精々募金することくらいしか思いつかないので、買い物した時のお釣りは全部募金箱に突っ込むようにしています。

くらえ、小銭攻撃。

 

そんな雨の時、そこそこ大きな地震があった千葉ではなく。

新潟と福島にいました。

 

会津若松市の戊辰150周年記念事業のホームページみてて。

八十里越えのツアーがあったんですよ。

詳細調べてたら、新潟交通くれよんさんでも八十里越えのツアーがいくつかあって。

会津のように実際に歩いてではなく、バスで越えられるのでこちらに申し込んでみました。

 

宿泊のツアー、しかも男女別の相部屋だったので無理はしないように前乗りしました。

既に雨が降ってたから、方面によっては夜行バス運休してたんですよね…。

新潟行きは無事に到着。

夜行バスなので、丸一日時間があるわけですが。

無理をしない為の前乗り、1、2ヶ所にしておきましょう。

 

無節操に色々行っていますがね。

それでもいつか必ずお参りしたいお墓がいくつかあるわけで。

新潟にではそのお一人、伴百悦のお墓を訪ねることにしました。

自分を犠牲にする方が好きなのかもしれない。

 

最寄り駅は新津。

バスも本数が少ないものの、すぐ近くの大安寺バス停まで行くものがあります。

まあ本数少ないので行きは良い良い、帰りは出たとこ勝負なのですが。

 

束松事件で逃亡中の伴、大安寺村の坂口津右衛門の元に身を寄せます。

行き道つらつら坂口について調べてたら、あれね、坂口安吾の本家の方なのね。

なので、坂口安吾の情報から推測した場所も足して周ることにします。

 

 

新津市立阿賀小学校の跡地が、坂口安吾の父仁一郎宅の跡地です。

 

 

仁一郎は本家の前に家を建てた、との情報があるので。

て、ことは津右衛門邸跡はここ?

根拠薄いから微妙過ぎますが。

 

 

坂口安吾のお墓です。

墓碑はないですが、坂口家代々の墓に埋葬されています。

 

この墓地全てが、坂口家の墓地みたいです。

安吾の眠る墓が一番大きくて。

周辺に分家ごとにお墓を建ててました。

 

て、ことは。

これが本家の墓では?

津右衛門の墓?

安吾は本家の墓に眠ってるんじゃないかなぁ。

こちらも全て推測です。

 

で、お待たせしました私。

伴百悦のお墓です。

看板も出てるから、わかりやすい、かと思いましたが。

寸前で迷う。

 

え、こっちの看板の矢印は前向いてるけど。

次に出てきた看板は後ろ指してるから、通り過ぎてる?

どこを???

 

右往左往してたら、おばあ様にお声をかけていただきました。

「どこか探してるの?」

伴百悦の墓ですといったら、「乗りなさい」と車で送って行ってくれました。

 

 

ありがとうございます、お陰様で伴百悦のお墓にお参り出来ました。

すぐ近くにありましたけど、1人だったら入るか迷うくらい民家の脇だか庭だかわからない道を通って着きました。

大好きな方なので、とても感慨深いです。

以前は自然石だったと聞いていたので、残っていないか探したのですが見つからず。

 

そういえばおばあ様に、研究してるの?って聞かれましたけど。

そうじゃないんですって言ってなかったら、資料もあるって言ってたから見せてもらえたのでしょうか。

そんなことを思いながら、帰りの方法探そうと墓地を出たら。

おばあ様、戻ってきてくれました。

ご予定あったみたいなんですけど、遠くからきたのにこのまま帰しちゃいけないと。

資料持ってきてくれて、コンビニ連れて行ってくれて、好きだけコピーしなさいと。

帰りも駅まで送っていただいて。

ここまでしていただいて、色々旅した中でもとても記憶に残るものになりました。

 

しかも、本当に縁って不思議ね。

新潟で会ったおばあ様のお孫さん、京都の私の母校に今通ってるんだって。

こんなことってあるんだなぁ。

大雨を心配するおばあ様に立地的に大丈夫ですよと言えたことが、少しでもおばあ様の心配を軽くできていたらいいな。

 

おばあ様、伴百悦のお墓にも縁のある方で。

今ほど有名でない頃から、ずっとお墓にお供えをしていたそうです。

自然石も見ていたそうですが、今は残っていないそうで。

色々お話を伺えて、感激でした。