人生に、一度は行ってみたかった権田村。

今年の夏に、遂に夢が叶って。

 

僅か3か月強で、2度目の訪問が叶いました。

凄いな、どちらもとても有難いです。

ただ、なんだろう。

権田村、死ぬまでにまだ何度か来るような気がしています(笑)。

 

今回は、前回買った本を読んで。

前回とは違う場所にも。

日記は前回と被らない場所だけ写真載せましょうかね。

 

 

まずは三ノ倉会館。

問屋戸塚平右衛門宅で、西軍の屯所になった場所です。

捕縛された小栗は、ここで数日監禁されました。

…いやぁ、斬首された河原のすぐ近くなんですよ。

 

 

全透院。

小栗騒動の際、暴徒の本陣になりました。

 

 

境内の地蔵堂は、吃驚するくらい見事な彫刻でした。

 

 

そしてお目当てはこの方。

記念碑と聞いていましたが、お墓でした。

貞婦やすのお墓。

 

直接小栗と関係はないんですが。

この方、慶応4年閏4月に東山道総督府巡察使によって表彰され、金五両を賜っています。

小栗を斬首した直後なんです。

小栗移転後の小栗騒動から、捕縛、斬首、遺品の売却等々。

騒然としていた権田村周辺の鎮撫の為に表彰したようです。

 

 

前回、斬首された河原の慰霊碑は見たのですが。

田んぼのあぜ道を通って、木立の裏を除くと。

小さな観音様があります。

斬首後、小栗達の首が晒された場所そうです。

もう少し近寄りたかったんですけどね。

飛び越えるにはちょっと躊躇する用水があったのでこれが精一杯。

どこかから周れると思うのですが。

 

 

慰霊碑の土手から、河原方面。

実際に斬首されたのは、もう少し河原よりでしょうか。

 

 

リベンジ、東善寺。

本堂の改修終わっていたのでパチリ。

前回写真に収まり切れてなかった又一のお墓も撮り直し。

本も思い残すことなく買えて、御朱印帳も持って行ったのでいただけました。

 

 

川向の薬師堂。

ここも小栗騒動の際、暴徒側の陣が置かれたところです。

小栗騒動では周辺の住民が5人犠牲になっているんですが。

宮原名主の丸山源兵衛はここ薬師堂の隣に住んでおり、一旦避難した後家の様子を見に来て犠牲になりました。

 

 

薬師堂より、東善寺方面。

えげつない話ですよねぇ。

ご近所さんと戦わなきゃいけないなんて。

和解はしましたが、相当遺恨は残ったのだと思います。

 

そして一回行ったはずなのに。

役に立たない案内人。

地蔵峠と姉妹観音は探しました。

しかも、熊注意の看板あったのね。

前回全く気づきませんでした。

同じ道なのに、ビビりだから怖くなっちゃって。

直前に熊除けの鈴購入。

ひたすら鳴らしてましたが、川の音で聞こえないよね(苦笑)。

まあ、無事戻ってはいるんですが。

 

この日は記憶違いやら喘息やらで、色々ご迷惑をおかけしてしましました。

申し訳ない、諸々しっかりせねば。

 

 

そしてこちらも行っていただきました、十王堂。

小栗夫人潜行の功労者、中島三右衛門とさいのお墓です。

看板あったのね、前回気付きませんでした。

新政府より、その忠義天晴と誉田の姓をもらっています。

なので、誉田さん。

 

ちなみにこの日一番の吃驚は、世田谷区民御用達スーパーオオゼキの創始者のお墓が隣にあったことです。

いつもお世話になっております。

叔母さんの家に泊まりに行くと、必ずオオゼキで買った美登利のお寿司が出てきます。

 

 

複雑な思いで佐藤藤七。

看板が朽ちてました。

 

 

前回探しきれなかった塚越富五郎の遺髪墓。

塚越家のお墓とはちょっと離れてるんですけど、おそらくこれかと。

 

同じく潜行に同行した佐藤福松のお墓もここですが、写真ないので探さず。

この後前橋市に移築された小栗邸を眺め、高崎の又一のお墓をお参りしました。

いやぁ、充実した楽しい一日でした。

 

ご飯類はお店もほとんどないのでしょうがないかと思いきや。

群馬グルメを堪能できました。

 

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食券買った後で定食なのに気付きました、おきりこみ。

ご飯までは無理だ。

 

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高崎市はスパゲッティ有名なんだよねー。

でもまあ、スパゲッティでしょ。

くらいの軽い気持ちで行きました、シャンゴさん。

ごめんなさい、吃驚するくらい美味しかったです。

お土産も買いましたが、食べた人みんな好評なの。

良いな、群馬の人こんなお店近くにあって。

でもスパゲッティで手こずるなんて生まれて初めての経験でした。

Sでも食べきれないんだよ、これも吃驚。

 

行きたい行きたいと思っていた権田に、今年2回も行けてしまいました。

幸せです。