実はまだ続いていた名古屋編。
これでラストでございます。
確かちょっと雨降ってたのかな。
養林寺にて、榊原勘解由。
供養碑と、一族の墓がそうなんだけれども。
後ろにまとめてある個人墓に、恐らく本人のお墓あるんじゃないかな。
勘解由より前のお墓と、後のお墓確認出来たので。
ただ、後ろのお墓はみっちりくっついてるので確認は無理だろうなぁ。
物凄い大きなお寺でした。
興生寺。
尾張藩執政、間宮六郎。
尾張藩を勤王にまとめた方。
やはり両側から見ねば。
彼も尾張藩の勤皇派、中村修。
足利三代木像梟首事件の首謀者の一人、角田忠行。
興生寺、とにかく広いので頑張って探してください。
間宮と中村は、能満堂脇の墓地でそこまで奥には行きませんでした。
角田は観音堂の脇から寺の外に出て、周って墓地に着いたんですが。
墓地突っ切ったら、境内に着いたので。
遊歩道からで、どうにか周れるはず。
徳林寺。
金鉄組首領、田宮如雲。
青松葉事件、さっくりと周れる場所には行けた感じかな。
専門書買ったので、読み終わったくらいにまた名古屋行きたいです。