色々中途半端ですけど、手を付けちゃうぜ。

夏の史跡巡り編。

 

本当は鳥取から岡山に抜ける予定だったんですけどね。

いつもお世話になっております、竹さんご夫婦が群馬に行かれると言うので。

予定減らして、ご一緒させていただきました。

 

だって群馬行きたかったんです。

権田村行きたくて行きたくて、調べてたんですけど。

中々機会がなくて。

 

まずは権田村に行く前に、甘楽郡南牧に向かいます。

ちなみに、上州権田村は今高崎市倉渕町と言うらしいです。

 

 

慈眼寺。

 

 

彰義隊、天野八郎です。

 

 

近くの生家跡には、案内が出来ていました。

 

いやぁ、去年彰義隊関連たくさん周ったので。

天野関連は中々に感慨深いですな。

初っ端からこんなメイン級をみてしまって良いのでしょうか。

 

そして恋焦がれておりました。

権田村到着!!!

小栗関係の文は、あんまり本で確認せずに記憶で書いてるので間違ってたらごめんなさい。

 

 

地蔵峠の殉難碑。

小栗又一と共に高崎城内で斬られた塚本真彦の家族は。

二手に分かれて権田村を離れます。

母ミツと娘チカは、山中を逃れる最中に近くの農家に助けられるのですが。

食料を届けられる際に、官軍に密告されたのではないかと不安になり地蔵峠で自害しました。

 

 

小栗上野介忠順終焉の地。

一度碑が流れているので、ちょっと離れて立て直しているそうです。

一度目の碑のあった場所が、実際に処刑された場所に近かったとか。

 

 

小栗関連の史跡を調べていた時に。

気になっていたのにわからなかったんです、襲撃側の村人について。

結構な人数が亡くなっているので、お墓はどこにあるのかと思ってたんですけど。

流石先生方、そちらもご案内いただけました。

 

塚越市右衛門。

近くに塚越久兵衛のお墓もあるそうなんですが。

墓石が結構苔むしてて、判断つかず。

歿日の3月4日で判断してこれかなと思ったお墓もあったんですが。

どうやら違ったみたいです。