吉田を、終わらせる。

 

 

下関3日目。

予定した分、全部周りきれないのはそろそろ気付いてる。

じゃあせめて吉田地方だけでも終わりにしようかと思い、初日に続いて吉田に向かいました。

 

吉田で持て余してたのは、どうやって行ったらいいかわからない常関寺と法専寺。

アクセスは最寄りのバス停から30分と20分。

まあ、目安だから当てにはならないよね。

取りあえず行ってみましょうか。

 

ネットによれば、最寄りは宗地のバス停。

ただ、Google先生で周り見た感じ何もないのよね。

東行庵入口のバス停で降りて、目の前のコンビニで準備して行くことにしました。

往復しても自販機一つ見ませんでしたよ。

 

目安とは思ってましたけどねー。

まさかまさかでバス停から常関寺は、往復2時間かかりました。

まあ、お寺で結構時間かかったんですけど。

道はずっと緩やかな登り坂、バス通りを外れたら人気は全くなくて。

これだけ歩いて車2台すれ違ったくらい。

ちょっと怖いくらいに寂しいです。

 

 

お寺の前は笹尾道場跡。

来嶋又兵衛も訪れました。

 

 

そして目的、常関寺。

奇兵隊の病院として利用されました。

 

 

奇兵隊士のお墓もあるんです。

墓地をちょっと徘徊したら、お墓発見。

 

が、お墓に続く道がない。

裏に進んで山を登ったり、墓地を進んで周ってみたりと。

境内を右往左往していました。

 

でも、それでも道がない。

墓地を眺めながら途方に暮れる。

そしたら、お墓の下にちょっと草が生えてない場所があって。

あ、これ道か!?

全部草が生えて道無くなっているのか。

腰の高さ以上に生えた雑草をかき分け、多分道であろう部分を踏み外さないように、墓地まで登っていきました。

 

着いた場所は草が少ないですけどね。

蜘蛛の巣はいっぱいだし、なんだか辛くてさっと撮ってきてしまいました。

 

 

古川順蔵。

 

 

本田寅之助。

 

 

伊藤虎松。

 

 

本郷志摩之助。

 

 

権右衛門。

 

 

松原與兵衛。

 

 

堀瀧太郎。

 

 

お墓の囲いの脇に、小さなお墓。

こちらも松原與兵衛のお墓のようです。

 

ここね、6人だったり7人だったり8人だったり。

お墓の数がサイトによって合わないんですけど。

常関寺の案内板も6人だし。

多分あれですね、6人なのは権右衛門除いた奇兵隊士で。

7人がそのまま。

8人が松原のお墓2つ数えてるんでしょうな。

 

そしてお次は法専寺、なのですが。

徒歩20分とアクセス書いてるわりには、常関寺の途中にあるわけでなく。

結構早い段階で道は分かれているので、遠いんですよ。

首切り地蔵が有名ですが、実は奇兵隊士のお墓もある法専寺。

情報も少ないからすぐには見つからないのは予想済みで。

 

…うん、また来よう吉田!

 

実はまだ筋肉痛とれてないしね。

常関寺と同じような状況なら、多分踏み外すわ、道。

 

 

で、帰り道で旧山陽道。

鳥尾小弥太率いる少年兵が駐屯したと言われる松林寺。

桂小五郎もこのお寺のチルばあさんに面倒を見てもらったと伝わるそうです。

 

 

高札場。

 

 

長慶寺。

奇兵隊の屯所で、病院としても利用されました。

 

 

末富家。

奇兵隊の本営として定められ、高杉の葬儀もここから出されました。

山縣有朋も一時下宿しており、外装は変わりましたが内部は幕末から変わらないそうです。

中見てみたいなー。

 

まあ、また来るなら1つも2つも一緒よね。

バスの時間があるから、奇兵隊陣屋跡も次の時に。

この陣屋跡と法専寺と堂の尾の墓地跡。

次の機会といたしましょう。