やだ
なにコレ
可愛い
昨日は歴史関係の同窓会。
午後から軽く史跡巡りをしてお食事だったので。
午前中は久々に展覧会でも見に行きますか。
秋口色々見逃しましたけどね。
芳年好きとして、これだけは見逃せない。
太田美で「生誕150年記念 水野年方~芳年の後継者」展。
水野「年」方、お名前から察せられるように、月岡芳「年」のお弟子さんです。
作風は引き継いでくれなかったですがね。
鏑木清「方」のお師匠さんでもあります。
タイトル通り、やはり芳年を一番色濃く継いだのは年方だと思うんですけどね。
そのタイトルの割には、稗史画少なかったな~。
年方は肉筆稗史画が一番好きなのに、残念。
その分、芳年の肉筆画見れたのが嬉しかったな。
何度となく見てますけど、何度でも嬉しい。
そろそろ芳年の浮世絵まとめて数みたいな。
年方は芳年の最晩年、芳年の校合摺りに配色をしたであろうと思われる作品がいくつかあるそうです。
月百姿のいてしほの月もそうだと言われている作品だそうで、今回展示されています。
後初めて知ったんですが。
年方も奥さん、水野秀方は元々お弟子さんなのね。
この時代、結構聞く話だなぁ。
秀方は塾頭まで務めてますが、総体的にみればやはり女性に厳しい世界だったのだろうなぁ。
年方、墓所は谷中霊園だそうです。
谷中霊園だったらあるだろうなぁと思ってもらった秘蔵ファイル探したら、やっぱりありました(笑)。
甲10号6側なんですね、今度探しに行こう。
ゆっくりじっくり見れて満足。
さて、午後は板橋に向かいます。
板橋駅前の近藤勇墓所を出発。
推定、近藤勇斬首の地。
近藤さんが処刑された板橋処刑場は、平尾宿の一里塚付近だったそうです。
近藤さんは処刑場そのものではなく、馬捨場で処刑されたのですが。
現在、一里塚近くに馬頭観音があって。
馬頭観音は馬が亡くなった場所に建てられるから。
この辺りだと推測できるそうです。
で、一里塚のあったのは写真の八百屋さんとその対面。
板橋宿平尾脇本陣豊田家。
近藤さんは処刑までここに幽閉されていました。
遊郭跡。
ドアの上の丸い部分がその名残らしいです。
遍照寺跡。
明治4年に廃寺になりました。
境内は宿場時代の馬つなぎ場でした。
板橋宿本陣飯田新左衛門家跡。
板橋宿中宿名主飯田家跡。
上の飯田新左衛門家の総本家です。
西軍の本営で、近藤さんもこちらで尋問を受けました。
板橋。
この橋が板橋なので、板橋の地名になったそうです。
東光寺、宇喜多秀家供養塔。
未だ色の残る庚申塔。
加賀藩下屋敷跡。
の、極一部。
一番広い江戸屋敷だったそうです。
壽徳寺。
近藤さんの菩提寺です。
板橋駅前のお墓は、ここの境外墓地になります。
思ったよりがっつり回って、板橋散策終了。
色々調べていただいて、とても充実していました。
カメラ持ってこなかったのが残念だったので、また近くに行ったら周ってみたいです。
で、お食事は2回目嶋村。
私たちにぴったりな、幕末会席(笑)。
内容もそうですが、幕末の人物との所縁も深く。
初代が桜田門外の変を目撃したり、お店に伊藤博文なども通ったり。
鳥飼いとして、複雑な気分のするうずら椀に。
好き、蒸し玉子。
名物、きんぷら。
記事見つけられなかったんですけど。
おそらく1回目に行った時も同じようなこと書いてるはず。
しかし、まあ。
3年半ですか。
こんなにも縁が繋がるなんて、ツアーの時は想像もしませんでしたな。
有難いことです。