そして岩国巡り2日目。

雨じゃ。

 

前日コピーした資料で普済寺に行く気にも、鎮魂社行く気にもなれない。

月曜だから博物館系は開いてないしな。

しくったな、取りあえず三士の一人、東沢瀉のお墓だけ見てから考えよう。

 

岩国駅から延々40分、降りたのは保津南のバス停です。

まずは東沢瀉記念館。

パンフレットにも載ってるので、見つけやすい。

 

 

実は記念館言うから散々開館時間調べてたんですけどね。

別に展示系の記念館ではないみたい。

どちらかというと神社のようでした。

 

ここは東沢瀉の旧宅と、沢瀉塾があった場所です。

流刑後、戊辰戦争で精義隊が活躍したこともあって沢瀉は許されて岩国に戻ってきています。

その後私塾を開き、人材育成に務めました。

杉民治も教わったそうですよ。

 

岩国徴古館で見た月性の弔問名簿に、沢瀉の名前もあったんですねぇ。

赤禰と面識もあったのかしら。

 

で、お墓の方です。

ネットじゃ見つけられなかったですけど、図書館の本では見た。

記念碑もあって、記念館の近くのようです。

 

まあ沢瀉はパンフレットでも一番メインに扱ってるし。

栗栖や南部が見つかったので見つかるでしょ。

 

が、ない。

東沢瀉記念館の近くが、そもそも小さな山だ。

取りあえず近くに人を探しますが、やっと見つけた人も記念館はわかっても。

記念碑は聞いたことがないとのこと。

 

記念館に戻って山周りを散策。

未舗装の農道をぐるっと周って、山に続く道が2本。

けもの道と、蔦に覆われた細い階段。

ううん、情報なしに雨の中これ進むのは無謀だな。

 

改めるか迷ってた時に、近くにお住まいの方を発見。

駄目元で聞いてみるかと思ったら。

超詳しい人でした、最近運が良いな。

 

 

結果、無理でした。

どうやら線路で分断された方の山にあるみたい。

昔はその先で海水浴が出来て、洞窟もあって。

その途中で記念碑があったみたいですが。

線路が出来てからは、全くの手付かずだそうな。

記念館の方は1年に1回清掃して、宮司さんも呼んでるいるそうですが。

 

んん~、移したりしなかったのかしら。

こういうこともあるんだねぇ。

まあ、また探しに来なくて良いことに気付けただけ良かったです。

 

で、また40分かけて岩国に戻って。

それだけで半日かかったので、取りあえず空港戻りやすい広島戻りますか。

毎年広島行く理由の、大好きな人のお墓参り。

流石にそこまでは行く時間がなさそうだ。

お好み焼き食べて、お土産探して本屋でタイムアップ。

アカデミイ書店、郷土史の品揃え悪くないな。

まあ、原爆関連がメインですが。

幕末も鞆の浦の図録買ったので、今度それで周れるかな。

 

しかし、広島来たのにお墓参りしない。

自分の行動に、物凄い精神的ダメージが。

まあ、LCCのお陰で広島来やすいのわかりましたし。

もう少し気負わずに会いに行けるといいな。