2013年時点の話ではありますが。
長州行ったでしょ、土佐行ったでしょ。
京都も会津も行ったしなぁってことで。
じゃあ薩摩かなって思って。
薩摩に行くなら西南戦争の史跡でしょ。
西南戦争なら田原坂でしょ。
この時点で、薩摩じゃないこと気付いてませんからね。
熊本だって気付いた頃には後に引けなくなっちゃって、極々珍しい個人での新幹線移動。
3日目からは熊本です。
ちょいと調べはしたものの。
距離感は現地のパンフレットで確認しました。
木葉駅下車、篠原国幹の戦死した吉次峠に行きたい。
って言ったら、歩きじゃ無理だよ言われて駅周辺の史跡にシフト。
まずとある場所でお昼ご飯を調達してから、史跡巡りに出発です。
最初に向かったのは高月官軍墓地です。
田原坂、吉次峠、横平山の戦いで亡くなった官軍兵士の墓で、約980人が眠る最大規模の官軍墓です。
小さな公園の奥にあってね、行った感じそこまで大人数が眠っているようには思わなかったんですが。
写真からもお分かりになるように、古いものは建て替えられています。
建て替えたものは、この囲いの中に土中保管だそうで。
初めて見たなぁ、こういうの。
吉松秀枝の碑です、
依田百川が詠んだ詩が刻まれています。
吉松さん、神保雪子の自刃を見届けた人なのか。
徳成寺。
官軍の大包帯所(病院)跡です。
日赤発祥の地でもあります。
宇蘇浦官軍墓地。
危機感ない人間なので、あまり一人で怖いと思ったことないんですけど。
ここ、怖かったなぁ。
今まで行った中で一番怖かったかも。
山の中でね、小雨降ってて薄暗いし。
墓地は勿論のこと、視界にも人が写らなくて。
まあ、田原坂みたいに心霊現象とか聞かないし。
大丈夫!、と自分を叱咤して散策。
前述、吉松秀枝少佐のお墓。
谷村計介。
包囲された熊本城を脱出し、援軍を呼びました。
お墓は、こんな感じで山の斜面にずらっと。
こちらの方が多く感じましたが、398名と高月より半数以下なのですね。
この頃には恐怖感も薄まって、お墓を背に段差に腰かけて山から町を眺めてますからね。
慣れるって怖い。
町中戻った。
小雨降る平日の昼間で、それでも人気はなかったけれども。
征討総督有栖川宮督戦趾。
眺めが良いですよ。
なので、ここで調達したお昼を食べることにしました。
雨降ってるけど東屋あったし。
こそこそこそこそ、何を仕入れたかって?
じゃ~ん!!!
その名も「薩軍めし」です!
西南戦争弁当として、当時の陣中食を再現しています。
本当は官軍めしもあるんですけど。
この日用意できるのが薩軍めしだけだったとのことで、こちらを購入。
史跡巡りのお供にぴったり過ぎやしませんか。
記憶もおぼろげですが、美味しかったのは覚えてます。
あ、要予約ですよ。
正念寺。
徳成寺と同じく、官軍病院趾です。
田原坂抜けてすぐのお寺でして、山門に弾痕が残っています。
が、拡大して撮った写真がないのは何故だ。
戦死者の少なかった当初はこちらのお寺に葬られたそうですが、人数の増大によって高月の官軍墓地に葬られるようになりました。
境内にはこの碑しかなごりがない、のか私が撮り忘れているのかは今ではわかりませんが。
何が凄いって、ファイルの写真ほぼピントが合ってないことですよ。
載せてるのは、これでもマシな方なんです、恐ろしいことに。
この時でこれでしょ。
この前に行った山口、高知の写真はどうなってるんだろ。
見返したらもう1回行きたくなりそうな気がして、怖くて見れない(苦笑)。