さて、米原のホテルを早々に出発して。
延々18切符で帰るんですが。
寄り道。
愛知県は岡崎市。
ここ数年の念願、大樹寺です。
何故なら、ここも林家に縁があるから。
とはいえ、一般的には徳川家菩提寺。
林の前にちゃんとお墓にもお参りしてきました。
まあ、林だけでなくちゃんと家康のお墓も見てくるんだよって言われたのもあるんですけど。
なんで林だけ見てくるつもりなのバレたんだろう(笑)。
徳川墓所の前に、やけに気になるお墓がありました。
大和郡山藩代7代藩主、柳澤保申の遺歯墓だそうで。
なんでかなぁと思いましたけど。
wiki読んでたら松平の墓所修築したってあるから、その関係かしら。
そして何より、本堂の中が堪りませんでした。
徳川将軍の、亡くなった時の身長で作られた位牌がある、ってのは知ってましたけど。
冷泉為恭の襖絵こんなに見れると知りませんでした。
流石に、外して保管庫にあるんですがね。
保管庫にそのまま部屋を再現してあるので、当時の様子がありありとわかります。
あ~、この部屋入りたい。
八方睨みの麝香猫は、意図的に消されているようでしたが。
その他は保存状態もよく、色鮮やかでした。
冷泉為恭、いつかお墓も行きたいんですよねぇ。
まさに命がけで大和絵の復興に尽くした人。
好きだなぁ。
保存庫、かなり長い時間襖絵みてました。
大樹寺には冷泉為恭の位牌もあります。
本堂向かって左手側。
位牌の文字は遠くて読みづらいですが、前の柱に為恭の年表があるのでわかりやすいです。
さて、お目当て林家のお墓です。
墓所を歩いていて、なんとなく目星はつきました。
徳川墓所向かって右側、歴代住職のお墓のある区域。
しかしながら、門には鍵が。
お寺の方に聞いてみたんですけどね。
非公開でした。
でした。
林家のお墓が云々、というより。
ある場所が悪いのかなぁ、と。
歴代住職の中に紛れてますし、重要文化財の建物の裏ですし。
ちなみにこちらには、4代忠満と5代忠時のお墓があります。
このお墓も、大坂の一心寺を同じで忠英の時に建てられたんでしょうか。
もし、そうだと仮定すると。
物凄いことじゃありません?
大樹寺って、てっきり徳川家重臣のお墓やら碑やらがいっぱいあって。
その中の一つが林なのかと思いましたけど。
見た限り、他に有名どころな家臣のお墓はなく。
忠英の時に徳川祖先の菩提寺に建てるのを許されたのだとしたら。
一体、どれほどの権力があったんだろう。
もしくは、どれだけ寵愛されたのだろう。
まだまだわからないことがいっぱいあるなぁ。
思ったよりも大樹寺に時間をかけたので。
この後はまっすぐお家へ帰りました。
興津に寄ろうかとも思ってたんですけど。
まあ、またの機会に。