堺から天王寺へ移動です。
ちなみに、今回の史跡巡りは大阪あそ歩というサイトを利用されていただきました。
それをベースに、後は自分の行きたいところを追加して。
観光用サイト?普段なら観光用のマップなんて使えないよってとこですけど。
やだなにこれ、痒いとこに手が届く!
大阪史跡巡り初心者には十分でございます。
天王寺について、まず向かったのは持国寺です。
玉生堂を開いた藤井藍田のお墓へ。
藍田の私塾には勤王の志士が出入りていた為、藍田は新選組に捕らわれました。
大坂屯所の萬福寺で獄死しました。
お隣には贈位の記念碑。
ちなみに入り口にインターフォンがありまして、お寺には一言お断りしてから入るようになっております。
来たよ、忠交さん。
毎回とは言えませんが、近くまで来たらなるべく一心寺にお参りさせていただこうと思っています。
1人遠くの地で眠る忠交さんに。
でもごめんなさい、お花一束しか買えなかったよ。
隣の花屋、一束1000円ですぜ。
なんか蘭みたいなの入ってる。
希望は吉忠さんにもで4束だったんですが。
次回はもう少し計画的に買ってから行こう。
会津藩士の方のお墓は、今回初めてお参りしました。
意外に見えていないもんだのう。
今まで行ったところも、見落としているものが山程あるんだろうなぁ。
まあ、気付く過程も再度の訪問も面白いのですが。
同じく見落とし、四天王寺。
入り口にこんなにでかでかとあるのに。
しかしながら、お寺の人に聞いてもわからなかった。
どんどん色んな方にエスカレーションされて、大黒堂裏の墓地へ。
高橋多一郎、庄左衛門親子の墓です。
最近水戸藩関連だと積極的に見てしまいますな。
自刃したのも大黒堂近くのなので、お墓の近くなのですね。
ここから大阪あそ歩の地図へ移行します。
ちなみに、道はきちんと描かれているものの写真はないので。
今回の日記は、場所によっては少々ずれているかもしれません。
まずは稱念寺から。
陸奥宗光墓所跡です。
今は鎌倉に移されていますが、最初はここにありました。
今でも娘清が亡くなった際に同じ身長で作られた清地蔵や。
宗光が父の業績を漢文で述べた「夕日岡阡表」。
原敬が陸奥宗光の偲んで建てた碑もあります。
ちなみにここには、小松帯刀の墓もあったそうです。
同じく鹿児島に改葬されましたが。
何故ここに陸奥家の墓があったかなのですが。
父伊達宗広が、敬愛する藤原家隆の眠る場所の近くに定めたそうです。
家隆塚の方は、草が凄いことになっていましたが。