箱根板橋の駅に移動しまして。

 


 


まずは板橋地蔵尊。

ここも迷った。

子連れの若いお父さんが案内してくれた。

 


 


中井範五郎始め、13名の墓碑です。

中井範五郎は鳥取にもお墓があるんですね。

鳥取行ったことないから、掃苔しに行きたいです。

 


 


久我昌房遺髪之墓。

西南戦争時、鹿児島で亡くなっています。

 


 


山縣有朋書の忠魂碑。

 


 


常光寺。

小田原藩家老、渡邉了叟の掃苔で訪れました。


割と早々に目星はついたんですけど。

手元の画像と違うので、ちょっと悩んでいたら。

こちらも住職さんが出てきてくれて。

色々説明してくれました。



 


で、こちらが渡邉家先祖代々之墓。

 


 


後ろに隠れるようにあるお墓が了叟のお墓になります。

元は沿岸の三乗寺にありましたが。

津波の被害で廃寺となり、お墓がここ常光寺と誓願寺に分けられたそうです。

なので、お墓に三乗寺と刻まれたものがあります。


渡邉了叟しかり。

小河原多官、白井宣左衛門、楯石作之丞、福井小左衛門等々々。

掃苔する際は、まず謝ってしまいます。

 




同じく三乗寺から移ってきた。

同じく、小田原藩家老服部十郎兵衛。


後、小田原藩関連としては。

槍の師範青木家のお墓があるそうで。

これだろうなとも思いましたし、時代も合いますけど。

裏付け出来てないので、ブログでは保留かな。


常光寺を出た後は。

山縣有朋の別荘、古稀庵に向かいます。

が、入り口はどこだ。


広い庭園の周囲を延々と登り。

塀一つ隔てた先にあるというのに、全く辿りつかず。

お散歩のおじいさんと、迷子な私の目がばっちりあって。

道を教えてくれるも、エラく微妙な位置にいたらしく。

そのまま坂登り切って、また降るのが良いそうで。

事細かに伝えていただき、その場で復唱させられる(笑)。

迷子はお得意だが、復唱させられたのは初めてだなぁ。


たぶん、言われた通りに進んでるんですけど。

想像以上に坂辛い、そして遠い。

なんとか看板見える位置まできましたけど。

この看板から、どれくらい先にあるのだろう。

ライブまでの時間もそろそろなくなってきて。

そもそも古稀庵、日曜しか開いてないっていうし。

また日曜に来ればいんじゃないの?、とここはすんなり諦めました。

決して、山縣有朋だからではないよ。


取り合えず、これにて小田原初日は終了。