岡山編ラスト。
最終日は、フライトの時間早めだから。
2ヶ所程しか見れていないんですが。
しかしながら、何故に岡山だったのか。
その理由は、ここにあります。
五流尊瀧院。
木見駅から歩いて30分程で着いたでしょうか。
徒歩で全然余裕でした。
そして、五流尊瀧院。
ああああああーーーーーーーー。
来たかった来たかった来たかった。
ここには、紀尾井坂の変で遭難した時に大久保利通が乗っていた馬車が奉納されています。
歴博の大久保利通展では、このお寺が天皇所縁のお寺だから奉納されたとの説明でしたが。
お寺の方に聞いたら、ご親戚にここのお寺の檀家さんがいらっしゃったそうです。
この馬車は予約して見ることが出来ます。
写真撮影不可でした。
でした。
なので、目に焼き付けて帰ります。
本当なら1時間でも2時間でも見たいけど。
お寺の人が付き添ってくれているので、そこまで見るわけにもいかず。
居た堪れなくなるギリギリまで凝視しました。
読んだ本の内容思い浮かべて観察。
右側から出て、斬られたとのことですが。
お寺の方によると、以前は血痕の跡がわかったそうですけど。
今はもうわかりませんでした。
が、左側の足かける部分。
博物館でよく見る血痕のように見えました。
まあ、経年劣化なんでしょうけど。
馬車は、御者以外は1人乗りなんでしょうな。
馬車から出て斬られているので。
これも経年劣化なんでしょうけど。
ちょうど、椅子の背もたれの部分の座った人の大きさくらいに染みがあるのが印象的でした。
馬車は、思ったよりもシンプルで。
内務卿が乗るには寂しいかと思いましたけど。
入ったばかりの文化と思えば、当時はこれも技術の先端なんでしょうか。
後、手綱も残ってるのね。
室内できちんと管理されているとはいえ。
痛みも激しく、いつか見れなくなるかもしれないなと思うと。
また、見に行きたいなぁ。
ちなみに、お寺の方はとてもよくしてくれました。
色々パンフレット出してくれたりとか。
諸々々。
有難いなぁ、本当に。
そして感慨に浸ってふわっふわっ帰ったので。
境内から少し離れたところにある、重文の石造宝塔も、県の重要文化財三重塔も見忘れてきました。
それじゃあ、また行かなきゃね!
大久保関連は、取りあえず簡単に思いつくなら郡山の大久保神社と。
鹿児島に分骨したお墓に行きたい。
ちなみに木見駅と五流尊瀧院の間に。
頼仁親王のお墓があります。
さあ、岡山最後の地へ。
滝善三郎義烈碑のある、金川の七曲神社へ。
岡山、誤算だったなぁと思うのは。
思ったより路線入り組んでるなぁと思ったことです。
組み立て方が悪かったんでしょうけど、同じ路線上で史跡巡り出来れば良かったかなと。
後、ホテルは倉敷で取れば良かった(笑)。
七曲神社、駅からの距離感がつかめなくって。
良いや、タクシー乗っちゃえと思ったんですけど。
乗ったら、場所確認して近いよ!歩いた方が良いよ!って教えてくれました(笑)。
まあ、言うほど近くなかったけど(苦笑)。
目的の碑は、境内に入ってすぐに見つかりました。
裏に、滝の辞世の句も刻んであります。
碑は探さなくて済んだ、一安心。
が、本殿がない。
この先か…?
石碑すぐ見つかったのに、本殿探して山登るといういつもと逆パターンだ。
ほら、目的が碑であろうが墓であろうが。
本殿や本堂にお参りしないわけにはいかないじゃない。
で、目的は達しましたけど。
七曲神社より、お隣の妙覚寺が有名なお寺のようです。
ので、寄ってみました。
予想外に、幕末期のものを発見。
元々妙覚寺自体が、難波抱節という中国地方屈指の漢方医の屋敷跡だそうですが。
この長屋門がそのまま残っています。
駅からここまでの道に、お墓もあったみたいですけど。
寄る時間がなかったので、ここは割愛。
結構行き当たりばったりでしたけど。
岡山、そこそこ見れたんではないでしょうか。
倉敷方面全く行ってないので。
そっち方面もいずれかは。