ちょいちょい山田方谷以外も挟みますよ。
頼久寺。
小堀遠州作の庭園があります。
しかし、頼久寺の目的はこちら。
松山藩新選組隊士乙部剛之進。
弁天台場にて、明治2年5月11日に戦死しています。
また元治元年の第一次長州征伐の際、山田方谷はこの寺に入り藩兵を指揮しました。
墓地へ続く道に、ひっそりと山田方谷先生寓居の石碑が立っています。
そして、ここからがまた酷かった…。
目指すは山田方谷が藩政を行った際に板倉勝静から与えられて住んだお茶屋跡。
河井継之助もしばらく滞在しましたが。
この場所の地図が、エラくざっくりしております。
方角だけで、道の数全然合ってないよ…。
ネットでも場所の情報出ないし、道行く人に聞いてもわからない。
まあ、既に方谷林公園で石碑落としてるし。
1個落とすより、2個落とす方がまた来る可能性も高いんじゃない?
さ、次々。
武家屋敷。
埴原家という武士の屋敷でした。
こちらは山田方谷資料室が併設されていて、そこがお目当てです。
郷土出版系の本は、ここと郷土資料館くらいしか買うところがないのでその点でもおススメです。
安正寺。
備中松山藩歴代藩主の菩提寺です。
お墓があるわけではなく、位牌を祀っていますが。
朝敵となった備中松山藩が、岡山藩と交渉にあたったのもこのお寺です。
そして、備中松山藩と言えば。
谷三十郎ですよね。
父三治郎と母の墓が、この安正寺にあります。
行かなくて良いかな、とも思いましたけど。
駅までの帰り道だから、郷土資料館。
山田方谷の銅像があります。
中の方は、民具と称して整理もせずに埃が被るタイプの。
一番苦手な資料館でしたが。
あ、お隣図書館でしたよ。
高梁市史買うか悩みましたけど。
買えば良かったな。
予定の半日はとうに過ぎて。
尚且つ周りきれなったんですがね。
ホテルは岡山城近くなので、もう戻らないと。
本当は残り半日で岡山城の予定だったんですけどね。
そこでホテル取った意味がなくなってしまった(苦笑)。