岡山続き。

迷走はここから始まります。


 

 


碑があるという、方谷林公園。

地図でみても、そんなに遠くはないんだけど。

目の前に見える地図が示す場所は。

どうみても、山にしか見えないよね。


どうやら、この山が方谷林公園らしい。

うっかり道間違えて、畑の真ん中延々と進んでたのはご愛敬。

剥き出しの電気柵の下を潜った辺りで、流石にこれはおかしいんじゃない?って引き返しました。

 


  


方谷林公園は、明治43年明治天皇より山田方谷に正五位が追贈されたことを記念して、翌年開園されました。

山田方谷の詩も刻まれている、高梁三先賢詩碑と。

 


 


徳富蘇峰の詩碑は、割と登り始めてすぐのところにあります。


問題は、方谷4歳の時に書いた風月の文字を刻む石碑です。

園内の地図で見ると、石碑はほぼ山の頂上のようです。


ずんずんずんずん、備中松山城を登ってガクガクの足を叱咤して。

やっと頂上、いぇーーーー!!!って。

あれ、石碑はどこにあった?


舗装された道は1本道。

見過すわけがなく。

それでも、途中まで降りてまた頂上を目指すという行為を何回も繰り返し。

駄目だ、それでも見つからん。


ネットで見つかる、数少ない情報から。

どうやら未舗装の道を進むみたいで。

うん、確かに2本程山道があるね。

落ち葉が堆積して、枝が折れて道塞いでたりしますけど。

これ、道か?


途中まで進んで、戻るを繰り返す。

平坦な道はまだしも、堆積した落ち葉で傾斜が覆われているのは。

備中松山城で疲弊したこの体には辛すぎる。

でも、ここまで来たら進んでしまおうか。

しかし、これ確実に山道落ちる。


悩みに悩んで、結局1時間くらい徘徊して。

結局やめてみました、山道の傾斜踏ん張れないんだもん。

ちなみにこの日の歩行距離は約3万歩、上がった階段数87階。

万歩計壊れたのかと思った(苦笑)。

まあ、目的果たせなかったんですけどね。


 

 


まあ、山の麓の橋が方谷橋でした。

うん、これだけでもいいんだ。。。

 


 


街中に戻って、花屋跡。

安政5年に久坂玄瑞、同6年に河井継之助が宿泊しています。

久坂玄瑞!

 


 


藩校有終館跡。

山田方谷もこちらで学び、その後学頭も勤めました。

 

 


今幼稚園になってるので、中に入れませんけど。

塀から覗く黒松は、山田方谷お手植えのものと伝わっています。
 

 


高梁基督教会堂。

県内で現存する最古の教会であり、全国でも同志社の教会に次いで古い教会です。

高梁でのキリスト教は、明治12年に新島襄が宣教したことに始まり、15年にこの教会が建てられました。