「今日、下烏田で下見してきたよ!」


何で自発的に下見してるん?

ああ、お出掛け帰りに寄ったの?

確かに、下烏田探すって話はしたよ?

お寺2個あった?

ああ、うん、ありがとう。

木曜日行く?って。

ああ、行く予定だけどあくまでも1人でだよっ!


まあ、有難いですよ。

有難いんですけど。


端的に言えば、愛が重い。


ちなみに先週館山行った時も止められました。

道、細いよ?

なまじ近場で知ってるから厄介よね。

もっと危ないっところなんて山程行ってるのに。


あまつさえ、今日は予定あるけど別の日連れて行こうか?って。

やめてくれ、30過ぎて実家暮らしの基本ド甘ったれだぞ。

うっかりお願いしたくなるではないか。


そんな誘惑を振り切って向かった、館山続き。

博物館出た後は、館山陣屋跡です。

城は大々的に宣伝してるけどさ、幕末の頃はこっちなのよ。

山の南東、現在お屋敷と呼ばれる土地が陣屋跡になり。

目安としては、貴美神社という小さな神社があります。

 


 


だいぶ、朽ち果ててますけど。

稲葉正巳の位牌を祀ってあるそうです。

境内にも、藩士が奉納した灯籠や神狐があります。

 


 


眼下に見えるあたりも、陣屋跡なんだろうなぁ。

 



博物館でもらった情報で、慈恩院。

立派なお寺です。

 


 


範囲ではないが、お寺のメインであろう里見義康のお墓。

 




旗本川口氏家臣棚橋茂左衛門の墓。

江戸中期、館山地区2700石を領した川口摂津守恒寿の家臣だそうです。


 


館山藩士、代田蓊の墓。

 


 


館山藩士、乙幡雲郭のお墓。

乙幡家は、館山藩の家老職の家柄です。

私塾を開いて、教育振興に尽くしたそうです。

 


 


いただいた地図から、これだと思うんですけど。

慈恩院20世が建立した、戊辰戦争に参加した人々の供養塔なのかな、と。

 


 


稲葉家老女、岸尾の墓。

幕末時に、稲葉備後守正善の奥向に仕えました。

 


 


館山藩士、木下晦蔵の墓。

脱藩後、箱根、箱館まで転戦。

高竜寺野戦病院の戦いで、明治2年5月11日戦死。

 


 


館山藩士高橋周行の墓。

勘定方、公用人、江戸留守居役などを勤め。

新政府との交渉にもあたりました。

 


 


稲葉正巳の母のお墓。

陸奥泉藩第3代藩主本多忠誠の娘です。

 


 


川名楽山の墓。

館山藩画学教授で、勘定方も勤めました。


うん、慈恩院良い感じで掃苔出来たぞ。

 

そして、早々にリベンジしたぞ天狗党木村円次郎のお墓。

博物館で道も聞いてばっちりだ。

細い住宅地の道を、突き当りまで進むと。

 


 


ありました、木村円次郎墓。

既に水戸に改葬されてはいるんですが、お墓はそのまま残っています。

佐貫といい、地元近くでこんなに天狗党のお墓が見れるとは。

今年もまだ天狗党year続いてますよ。


下宿と呼ばれたこの地は。

処刑場の跡地で、木村はこの処刑場に埋葬されたとのことです。

 


 


お墓の目の前が駐車場なので。

ああ、やはり住宅ではないなぁと思えば。

このあたりなんだろうなと思うんですけど。

この竹藪の先が、汐入川なので。

もう少し河原でもいいんじゃないかとも思いつつ。

最初に迷った時、もう一つ先の小道で迷ってて。

そこの突き当りに、お地蔵様があったんです。

木村のお墓の脇にも、お地蔵様。

この、お地蔵様同士の間くらいかなぁとも思ってみたり。


まあ、何にせよ。

処刑場跡って、結構特定しませんよね、どこも。