姫路城を出ると、そろそろ日も傾いてきて。
後数ヶ所、目星はつけてたんですけど。
取りあえず、近場から周れるだけ周ることに。
ってことで、景福寺。
甲子の獄で自刃となった松下鉄馬、江坂栄次郎、市川豊二の掃苔です。
ここは姫路藩主酒井家の菩提寺でもあるので。
相対した関係者が同じ境内にあるかと思うと。
ちょっと不穏なものを感じますね。
山門入る前に、藩主酒井家の墓。
妻や子息の墓でした。
十数基はあったでしょうか。
取りあえず、酒井忠学4女喜曽姫。
山門くぐって、本堂。
脇の墓地は小規模で、これなら他の場所も周れそう。
なんて思ったら。
裏山一面墓だった。
境内に併設されている保育園だか幼稚園だかの方に断って、裏山散策。
時間かかるかなと思ったら、なんとありがたいことに。
お墓の調査がちゃんとされていて、主要な方に看板が付いている。
しかしながら、予想外のことに。
ここはかなりな数の姫路藩士の菩提寺でもあったようで。
かなりな数の看板が。
関連な時代の方を見逃すわけにもいかず。
これじゃ他にいくどころではないな、日暮れまでに何とかしなくては。
まずは本堂脇の区画に。
渡部劣斎、好古堂書学寮教授。
そして裏山へ。
うん、そんなにきつい山じゃないから楽勝かなと思いきや。
史跡巡りの新たな敵と遭遇しました。
その名は、堆積した落ち葉。
人がそうそう入らないのでしょうか。
ずぼっと埋まるくらいには積もっています。
まあ、平地なら問題ないのですよ。
問題は階段状になっている傾斜で。
一歩踏み出すごとに、積もった落ち葉と共にずり落ちる。
登りはまだ良いですよ、問題は下り。
木の枝捕まりながら、ほぼ寝そべるような体制で滑り落ちながら移動。
うん、サバイバル。
丸山芳介、会津藩士丸山静之丞次子。
永田伴正、姫路藩勤王志士。
砂川雄健、姫路藩勤王志士。
砂川貫一郎、姫路藩勤王志士。
石川正明、姫路藩宝山流和良指南役。
浅井蠔洲、好古堂学問所助教。
前田伝、好古堂書学寮助勤。
細井度常、姫路藩勤王志士。
羽田慊叟、本因坊丈和門人。
羽田愛山、好古堂学問所助教。
看板が整備されてはいますがね。
お墓自体はこんな感じなので。
あばら家に老婆とかいそうな雰囲気。
黒塚だよ。
姫路藩主松平明矩。
お墓の前に、碑と鳥居があったんですがね。
碑まで写り込んじゃって、撮るの下手ね、じゃなくて。
倒れるので近寄らないでくださいって書いてあったのよ。
まあ、ちゃちゃっと写真撮るだけならとも思いますけど。
ホントに近づくだけで崩れそうだったので、流石にこれで限界ですよ。
やっとお目当て一人目。
松下鉄馬、なんですけど。
有難い看板が、牙をむいた瞬間。
井上元長とその家族。
姫路種痘館種痘医。
お目当て二人目。
市川豊二。
良かった、貼り付け札なかった。
中新井糺、姫路藩権大参事。
橘遷香、姫路藩藩医。
橘三新、姫路種痘館立上げ。
鶴田正臣、姫路藩日置流大蔵派弓術指南役。
いや、これだけ姫路藩士のお墓周る人もそうそういないんでない?
結構な満足感ではあるが。
実はお目当ての方がまだ一人いらっしゃるのだ。
江坂栄次郎。
なんとなく場所の目安もついてる、何故なら1ヶ所以外ほぼ探したからだ。
登ってたら、眼下に行ってない場所を発見して。
帰りに寄ろうと思ったら、同じ道通らなかったのだ。
もう1回登るか?
しかし、ここで日が暮れたら。
流石にそれはちょっと怖いかなぁ。
山の中だし。
他に行きたい場所も残してるしな。
良いです、今回はここまでで。
後で本読んでたら、甲子の変の後に自刃した境野求馬のお墓もあるみたいですし。
諦めて駅に向かう途中、姫路藩勤王志士終焉之地。
先ほど景福寺で掃苔した、松下市川ら勤王志士8名が処刑された場所です。
今は公園になっています。
刑場って、そんなに大数周ったわけではないですけど。
空地だったり公園だったり駐車場だったり。
どこも人が常駐する場所になっていないのね。
後々、何か起こった。
といわけではないんでしょうけど。
やはり、その場所に住むのは抵抗があるかも。
なんとなく寂しくなって、急いで駅に戻りました。
岡山まで移動しなきゃいけないしね。
兵庫、思ったより幕末史跡多いな。
本読み込んでもっと細かく周りたいかも。