旅行に出てしまったので、遅くなりましたが。
22日に、山種美術館で「川合玉堂ー日本のふるさと・日本のこころー」を見て来ました。
この日はブロガー向けの内覧会でして。
ブログやTwitter、Facebookにこの展覧会のことを書くのを条件に、参加を募っていました。
ブロガーと名乗るのも恐れ多い、辺境ブログではございますが。
貴重な機会なので、勇気を出して参加させていただきました。
このイベントは通常営業終了後、参加者100人で館内貸し切り。
イベントの主催の方や、館長からのお話もあったり。
菊家の和菓子をいただけたりするのですが。
一番の魅力は、展示作品を写真に撮ることができるのです。
なんという豪華企画!
川合玉堂自体は、失礼ながらお名前くらいしか存じ上げず。
ただ、展覧会のホームページで紹介している絵が結構好みだったのと。
竹内栖鳳の同門であるということ、つまりは同意義ですが、幸野楳嶺の門下であることに興味を惹かれました。
これは見なきゃでしょ。
イベントは諸注意の後、館長の山崎妙子さんによる作品解説。
せっかく写真が撮れるのですから、たくさんご紹介。
まずは初期の頃の作品から。
「瀑布図」と
「二日月」。
玉堂は前述の通り。
最初、幸野楳嶺に学びました。
故に初期の作品は、四条円山派らしい絵を描いています。
二日月は、月の周りに金を使っています。
玉堂には珍しい作品とか。
また、玉堂唯一の重文指定の「行く春」。
「二日月」は、この「行く春」と一緒に選考対象となったそうです。
で、より大きい「行く春」が好まれて重文になったそうな。
重文選考時の傾向として、大きい作品が好まれるようですよ。
こちらの手紙は図録には載っていない貴重なものです。
玉堂の娘さんにお子さんが生まれた際に、海外赴任してた旦那さんに描いた絵です。
その頃は、写真を用意するのも時間がかかったらしく。
すぐに知らせたいと、絵で描いたとか。
「石楠花」も玉堂にしては珍しい作品です。
幹の緑は、緑青をフライパンで焼いて使用しているそうです。
玉堂は絵具を焼くことをあまりしないのだとか。
玉堂はとても勉強熱心だったそうで。
琳派な屏風も描いていたり。
接写ですが、たらし込みがよくわかります。
中々に実験的なことも。
「渡所春暁」では、落款に銀を混ぜています。
こんな感じ。
ただ、個人的には落款は鮮やかな朱が良いですね。
代表作、「早乙女」。
橋本雅邦に師事し、その影響色濃くも、人と風景が合わさることで玉堂の作風が確立していったのだと思います。
これだけ作風の変化が感じられる画家さんも珍しいのではないのでしょうか。
ターナーの絵にも影響を受けたようですよ。
画業の変遷を辿るようで、興味深いです。
こちらは玉堂唯一の戦争画、「荒海」。
他の作品にはない、荒々しさとは言え。
それでもイメージするような戦争画ではなく。
きっとどこまでも穏やかな人だったのだろうな、と玉堂の人となりが伝わってくるような気がします。
玉堂の作品、個人的には二日月のような初期の四条円山派な雰囲気の作品が好みでした。
後、「双馬」。
ちょっと蕭白の描く野馬に似ていませんか?
そして展覧会では栖鳳の作品も見れます。
松竹梅を、大観玉堂栖鳳で描く豪華な揃いです。
他に栖鳳関連の絵が、「加茂女十三首」。
栖鳳の葬儀に京都へ赴いた帰途に、詠んだ和歌と添えられた絵だそうです。
内覧会は、裏話的なお話も聞けて楽しかったです。
山種美術館では、展覧会ごとにその展覧会にちなんだ和菓子が食べられるんです。
今回はこの5種類。
美しいでしょう?
しかも美味しいんです。
菊家さんのもので、私はここの練り切りが一番美味しいと思っています。
この和菓子の、ボツ案のお話を聞きまして。
「紅白梅」のモチーフ。
フツー(笑)。
そして「竹」モチーフ。
フツー(笑)。
しかも、竹の子描かれてないからね。
極めつけ「ふき」をモチーフにした作品では。
気持ち悪い(苦笑)。
中々にリアルなホタルが乗っています。
女性受けが悪いのが、目に見えてますな。
元の絵がこれなので、よく出来てはいるんですが。
ちょっと、ね(苦笑)。
ちなみにこの日記は、旅行中に録り溜めておいた日曜美術館の川合玉堂の回を見ながら書いています。
7日に再放送しますので、こちらを見てから展覧会に行くのも良いですね。
主催者様、山種美術館様、貴重な機会をありがとうございました。