「へー、笑うんだね。あっ、ごめんなさい💦子供の頃、笑ったところを見たことがなかったから、つい・・。」

今から10年と少し前だったと記憶しているが、後にも先にも初めて声をかけられ、そして初めて参加したその同窓会で、同学年だった女性から私が言われた言葉だった。
そもそも登校できぬ期間(便宜上ホームステイ笑)が多かった私は、学校の同級生との接点はあまりなかった。
だから、冒頭に記した言葉をかけてくれた女性が誰なのか、失礼ながら顔も名もわからない。
けれどもその言葉が後に、仏門に入ってから何度も自らの中で、こだまするようになった時期がある。

恨めば怨まれるし、憎めば憎まれる。
反対に、想えば想われるし、誰かを笑わせて差し上げることができれば、おのずと自らも微笑むことができる。
布施行の中の一つに和顔施(わがんせ)と称される行いがあるのだが、私は時に、その和顔施という行いを想う時、先人である相田みつを氏の遺したある言葉と、それを重ねることがある。
それは、「人の為と書いて、偽ると読むんだねえ」という文句だ。

私は以前、仏門に入るずっと前のことだが、前記した相田みつを氏の文句は、社会が偽善で満ちていることを皮肉った、そんな文句なのだと解釈していた。

しかし、仏門に入ってから時を経て、生涯修行僧である私が「修行時代」と記すのは語弊があるのだが、あの頃は「得度」に向けて修行を重ねていた頃だった。
本気で、自らの損得など考えずに人の為に何かを行い続けることは、その人を笑顔にさせるにはいったいどうしたらよいかと考え、そしてその為にはと、忖度抜きで本気で悩み、そしてその人が「笑顔になるキッカケ」を与え続けることを「これでもか」としつこいくらい(笑)本気で行っていると、いつの間にかそれは、自らの笑顔に繋がっていたのだと、私は気づくことができた。


およそ20年前に手放した、それまで自分が盲信(もうしん=わけもわからず信じ込むこと)していた「無制限の暴力」という狂気の美学は、沢山の人の未来を奪い、数えきれぬほどの人から笑顔を奪ってきた。

身体的な直接暴力は言うに及ばす、経済活動を主とし、符牒(ふちょう)では「シノギ」と称される「民事暴力」との二刀流を操る自らの力量に酔い、「いつ死んでも構わない」と嘯き、刹那に生きる事だけが、自らの生を感じていられたのかもしれない。

まさか己のような極楽トンボが、同窓会などというのものにお誘いいただけるとは想像も出来なかった。

その頃の私は、それまで長く心身を置いていた修羅の棲まう世界から離れ、堅気として改めて生き直すことを誓ってから、およそ10年ほどの歳月が流れていた。

「いつ死んでもいい」から、「生き抜いてみよう」と心変わりできたのも、当時2度目となる結婚と、最初の妻の忘れ形見である、長女(私の連れ子)の将来を想ったからだと、今だから笑って言える。

指定広域暴力団、そんな団体の下部組織とはいえ、当時組の長を名乗っていた己が、その後に真逆の生き方を選んでからの数年間は、いったい何度、元居た「無制限の暴力世界」に戻ろうか悩んだことか、その数は計り知れない。

道を歩けば現役ヤクザに唾をかけられ、居酒屋で飲んでいれば、やはり現役のヤクザに因縁をつけられ外で殴打され、最も酷い時は、子供が通う学校に街宣車を回されたりした事などもあった。

そんな時己は怒りで震え、「とにかく殺したい」と、願わくばその輩が所属する組を丸ごと、「全て皆殺しにしたい」と、何度も何度も、何年にも及んで私は、その繰り返しだったことを忘れない。

そんな当時の己を憐れんだのかはわからない。

地域の民生委員や、教育関連の方々や、善意の沢山の方々に助けられ、足を洗ってからの数年は安定せぬ収入ながらも、貧しくとも家族は飢えることなく未来に向かい、それぞれの生を紡ぐことができた。


その後しばらく経ち、私の経営する会社も軌道に乗り、年商が数十億となった頃から、私はまたもや、いいや違う、己が極道でいたあの頃よりも、ヤクザ組長でいた暴力の導師であった頃よりも、私は没義道(もぎどう=人にあらず外道)と言う名の拝金主義の、自らの功利損得しか考えぬ、「もっと欲しい、もっと欲しい」と枯れぬことのない欲望に狂ってしまった餓鬼界に、自らの心が堕ちていたのだと、今振り返ってみても尚、その頃の己を反省し、そして今を含む未来への戒めとしている。



末席ながら私の、僧籍がある真言宗を含め、我が国の大乗仏教のそのほとんどの宗派が「占い」を学んでいる。

私は得度した頃、東京都23区つまり都心から少し離れた府中市(府中刑務所ではありません念のため笑)で暮らしていたのだが、縁あって天台宗という密教の宗派に属する、ある著名な先生に「方位」を観て頂く有難い機会があり、私はその後府中市より更に都心から離れた「ここ東京なんスカ?」という、自然豊かな地区に移り住んだのが今から数年前のことだった。

そして知った東京都檜原村の「神戸岩」いつか拝観したいと秘めていたが、先日ついにその願いが叶った👇



そして私は言葉にできないほど、オフコース的な、小田和正さん的な「ラーラーラー♪ラララー♫言葉にできない〜♬」を機嫌良く口ずさみながら、神戸岩渓流を散策した👇



カッコつけてイキった私はこの後、渓流の濡れた岩で滑り、ファッションセンターしまむらで買ったお気に入りの「なんちゃってホワイトデニム」が、真っ黒になるほど滑ったことは、うっかりここまで読んでしまった方の胸の奥にしまっていただけると幸いです。



閑話休題

(長げえんだよ前フリがっ!)


関わること、その入り口は大多数の方々がその自らの損得、つまり「功利(こうり)主義」の精神であったのでは?と、私見ながらそのように私は慮っている。

少なくとも、私が密教つまり仏教を学びたいと志したその動機は、自らが満たされたいと、己の心の満足のみしか考えに至らなかったその狭い心の視野であったと、恥ずかしながらもここに記すこの事で、今このブログに訪れうっかりここまで読んでくださった不運な?方々のこれからの未来に、その方々が笑顔を得るためのヒントになるので有れば、これからの人生への布石と成るのであれば、私は悦んで己のそんな愚かさを晒したいと、基(もと)い公表したいと思う。


スピリチュアル、そして宗教、数多(あまた)の摩訶不思議な世界に触れることで、「もっと上の世界を、最も本物の先生との出会いを」と、宇宙空間の如く際限のないネット世界でそれらを求めたり、若しくは破壊的な圧力が掛かるほど深くに沈む、あのタイタニック号が眠る暗い深海という闇黒の、光の届かぬ未知であるようなそんなSNSの世界に貴女の心は、「もっと得たいんだ」と、捉われていはいないだろうか


今一度、見つめ直してはいかがだろうか?


自らの心の苦しみから逃れる最善の手段は、新たなる苦しみの因果を探す旅路の、そんな分岐点を探すことではなく、またそのような「指先で得る」スマホという文明の利器が誘(いざな)う、「運命的な」計算されたシステム上のスクロールではないはずだ。


不労所得・自分軸・神使いなどなどの、「魅惑のキラーワード」が溢れるこの世界は、ちまたでは「この世」と称する我々が営むこの世界は、「あの世」の現(うつ)しであると、そう感じることが多々ある。


我々は先人に対して、今という現世を紡いでくださった数えきれぬ沢山のご先祖に、本当に感謝という念を、二心なく抱いているのだろうか

自らが得をするには「神に好かれるべきだと」遠い遠いご先祖さまである、神社で手を合わせ自らの頭(こうべ)を垂れ、そんな自らの血縁である近いご先祖の父母などはすっかり忘れ、曽父母やその更に両親などは、その名も、その生きてきた軌跡(証)さえも、我々は知ろうとはしないのではあるまいか


そう言う己こそが、最もその典型であった。


聖なるパワーを、今度こそ本物のパワーをと、いったい己は、あの頃の私は、その時の自分が気持ちよければ良いと、それはただ単に「オナニ野郎」だったのではあるまいかと、笑えないほど恥ずかしい道を繰り返し、私は歩んできた。


どの世界に於いてもそうかもしれぬが、誰かを笑顔にさせたいと願う、そんな心の集まる人間らしいこの世界は、ある意味に於いて多士済済(たしさいさい=優れた人物が数多いること)であり、ある意味に於いて餓鬼界への準構成員だと、私は浅慮している。


苦しみや哀しみ、世の矛盾や不条理に対する怒りなどをコントロールするエビデンスのない、華やかな他力を得るのではなく、自らのコロコロと刹那に移りゆく感情そのものをコントロールする「思考法」それこそが、私のような無知無学である、ケモノ以下である愚身に於いて、温かな灯明の光のようにたおやかに、そっと足元を照らしてくれる道標が、己の学び続ける仏教であるのだと改めて思う。


愚身である我の戯れ言を「なるほど」という賛同のみにあらず、何を馬鹿な「チンピラ」がと嗤う、そんな人間らしい反証でもいい。


縁あってここまで読んでくれたのであれば、それこそが我にとって仏縁であり、我が身や我が名はどうでも良くて、僅かな仏縁であった貴女(貴方)の未来が、貴女自身が「なぜ?」と考え選んで歩む未来であれば、我は幸甚の至りであると、己の恥ずべき過去を含め私は未来に紡ぎたい。


修羅として生き、修羅道を歩んだまま死んでいったオジキの言葉が甦る。

「無駄なことは、何一つない。必死に生きれば、生ききることができれば答えは出る」


抗おう、自分が良ければ良いという自らの貧しい心と。

終わりなく闘い続けよう、自らの幸せを得る為に、誰かの笑顔を奪うコンテンツを見破れない、便利すぎる世のシステムの矛盾を。


そして、「正しく生きることは難しく勇気がいる事だけれども、それを繰り返し継続し続けることは更に難しい。けれども、その継続こそが自らの習慣になったその未来は、正しいその心の習慣を辞めることが、善の心を捨てることこそが最も難しいのだ」


日中の酷暑を経て薄っすらと照らす月灯りの下(もと)、たおやかな涼風に癒された夜に祈りを込め


真言宗末席 沙門 道薫