アタシは「女だから」って言葉が嫌いだ。
正確には、その考えを持っている人間が嫌いだ。
アタシ自身が幼い頃から、理不尽な理由で周りの大人から自分が虐げられようとも、不条理でどんな酷い目にあおうとも、アタシの心はアタシ自身が守ってきたんだ。


そんなアタシはいつからか運気というものを心に留めるようになり、神仏もきちんと敬っている。

目まぐるしく変わっていく世の情勢において、情報弱者になど、そんなアタシが陥(お)ちるわけにはいかない。

今を生き、自由を謳歌し、ネットでも沢山の人と繋がっている。

そうだ! アタシは一人ではない。

アタシの心は【自由】なんだ!



アタシはそもそも七福神が好きで、その中でも財福の神と讃えられる恵比寿神と、大黒天のニ神が好きで、我が家にもその尊像があるくらいだ。


ある時、自称密教僧だと云う見るからにうさん臭いおじさんに教えられた話が面白くて、それは福の神として人気の大黒天のその過去は、暗黒の代名詞とも云うべき悪の化身だったなどと、にわかには信じがたい話だった。

けれども、そのおじさんと会って何度か話を聞いているうちに、「大黒天神法」と云う修法の中で、行法の導師が唱える経文の一節を聴いた時、アタシは頭を強く叩かれたような衝撃を受けた。


その文句が古文なのか何なのか、それをしっかりと理解は出来なかったので、アタシはその一節だけでも現代文として解説して欲しいと、そのようにおじさんに頼んだ。


そして、


「もしも我が、今こうして其方(そなた)の心に誠を尽くして語りかけた我が説法、そしてその内容に、たとえ微塵なりとも我の戯れ言があったならば、我は己の善神としての矜持(プライド)は恥辱(ちじょく)となり果て、我れ永く心安まる事のなかった忌わしい過去の、あの暗黒界に再び我は堕ち、人の為に施すことが叶う我が幸福の至りである今を、我は永久に失っても構わぬと、そう覚悟しておる」



アタシの学生時分は、制服のスカート丈を長くしている子を、街でもよく見かけるような時代だった。

そんなアタシも、引きずるくらい長いスカートを履いていたのだけれども(笑)


あの頃の仲間や、今生(こんじょう)もう二度と会って話すことが叶わない人の顔や、ずっと憎しみの対象でしかなかった亡き父や、まだ子供だったアタシを育ててくれた義父の顔までが、浮かんでは消えていった。

そしてアタシは自分の意思に反して、いつの間にか落涙していて、膝の上で固く握りしめた拳を濡らしていたことに気がついた。


それから月日が流れ、おじさんから勧められた「般若心経」だけれども、ソラで唱えられるように暗記するのはアタシには難しくて、アタシなりに考えて、写経に挑戦してみることにした。


初めはそれも週に一回程度だったけれども、その間隔が狭くなってきて、週に三回が当たり前になった頃、アタシはおじさんの言っていたあの言葉の意味に気づいたんだ。


「般若心経と云う有り難い経文の主人公を、方便として、とある大組織の直系組長としよう。そしてその組長が自らの組員のみならず、他団体にも向けて演説を繰り返している、そんな組長の名にこそ、貴女がずっと探し求めていたことが、隠れているような気がしますよ」



時の権力者の、勝者の思い通りになどさせてたまるか。

偽りの情報などに惑わされず、アタシの未来は、アタシ自身が守るんだ。

そんなアタシと同じ志の、国民一人一人の自由を守る人たちと、アタシは真実の情報を共有しているんだ。

アタシはアタシの、間違えた道ではなく、正しい道に進むんだ。

社会を自らの都合で動かせる強者が手にしている矛(ほこ)など、アタシ達が手に入れた自由という最強の盾(たて)には、勝てないはずだ。


アタシは写経した余白に、「矛」を選ぶ愚ではなく、「盾」を選ぶ自らを誇るつもりで、それを書き記してみた。

そしてそれを続けて読んだ時、自分の中の何かが、大きく音を立てて崩れ落ちた。


矛と盾、矛盾(むじゅん)・・。


その刹那だったのか、もっと時を要したのかわからない。

意味などアタシは未だわからない般若心経の主役が、その直系組長の名が何と云うのであるか、やっとわかった。


その名は、観自在(かんじざい)菩薩

自在・・。


刃先の鋭い矛のような生き方をしてきた若い頃のアタシも、今では大人すぎるほど大人の年齢となり、これからは盾の如く守りたい何かを、自らの心と共に守れる盾のような生き方をせねばと、いつからか、アタシはアタシ自身で、自らの心を捕縛していたらしい。


SNSに映えるよう、美しく活けられた麗美な花の如くならねば、他人など癒せぬと、いつからアタシの心は、迷子になって居たのだろうか・・。


理不尽で不条理な世だからこそ、矛盾だらけの社会だからこそ、アタシの心は、【自在】で良いのではあるまいか


アタシは野に咲く花の如く、どんな不都合が起きようとも【自在】に、大和撫子の雅やかさを秘かな矜持(きょうじ)として、自由にあらず自在に生ききってやる。